本図は一体の如来を中心に四体の菩薩を巡らせた五尊構成であるが、本図と図像を等しくする類例は知られていない。
本図中央の如来と印相を等しくする例が、仁和寺蔵弥勒菩薩画像集中にあり、四天王寺塔中心柱に描かれた弥勒・釈迦・薬師各如来に等しいことが知られる。左下の菩薩は醍醐寺及び教王護国寺蔵仁王経五方諸尊図像中の曼殊室利【まんじゆしり】(文殊)菩薩に近似した乱髪の菩薩表現である。また、右下の菩薩は合掌する姿で普賢菩薩と考えることができる。右上の菩薩は十一面観音、左上の菩薩は塔を持物とすることから弥勒菩薩とみて誤りなかろう。以上の推測により、四菩薩は観音(十一面観音)・普賢・弥勒・文殊の四大菩薩を表しているといちおう解釈されるが、『覚禅鈔【かくぜんしよう】』巻第八には釈迦如来を中尊としてこれら四大菩薩を配置する釈迦曼荼羅図を載せており、印相・持物など一致はしないものの、このような思想をひとつの制作背景として考えることができよう。
各尊の表現は部分的に桜池院蔵薬師十二神将像・文化庁保管十一面観音像など、古い図像を範として描かれたと考えられている作品に酷似し、衣褶線を緑青とするなど古風な技法を用いていることが注目される。このように本図は古い図像に忠実に倣って制作されたとみられるが、平安時代から鎌倉初期に、復古的な機運を背景に描かれたものと思われる。画面に少なからず損傷があるとはいえ、美術的にも、また仏教絵画史的にも、それを補ってあまりあるだけの価値を有している。