歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 室町
仮名散らし書きにて礼紙にわたって書かれた女房奉書である。第一紙に「仰文安六四十七」の端裏書があり、書風よりして後花園天皇三十一歳の宸翰と認められる。宛所の菅宰相は参議東坊城益長で、文面は一休宗純が病臥の由を聞こし召され、その法流の断絶を憂慮され、養生の上、仏法の紹隆を思召されたもので、当時一休が禅林に占めていた重要な地位を伝えて注目される。
花園天皇宸翰御置文〈建武四年八月廿六日/興禅大燈国師宛〉
花園天皇
花園天皇宸翰宸記目録〈上/〉
後柏原天皇宸翰御消息〈はく少将宛/〉
後柏原天皇