元興寺極楽坊本堂 一棟
元興寺は始め蘇我氏が飛鳥の地に創立したが、奈良遷都とともに都の中に移された。現在では主要伽藍は全くほろびてしまっているが、僧房のうち東室南階大房の馬道(通路)の東の部分がわずかに残っている。これが極楽坊である。極楽坊の始めは、馬道東第一房に智光が曼荼羅を安置したことにあったが、のちその曼荼羅の信仰が盛んとなったので、この部分を切りはなして本堂と呼び、残余の部分は禅室(国宝)といわれるようになった。
本堂は寛元二年(一二四四)の再建と考えられる。この時には場所をやや移動し、外陣を当時代新来の様式であった大仏様の細部を加味しつつ、鎌倉時代の姿に統一したが、内陣廻りには奈良時代僧房の一部を取り入れており、また小屋組にもおびただしい古材が転用されている。このように、特異な経過と形態をもつ堂であるが、奈良時代寺院の僧房(僧侶の宿所)の面影を伝える遺構として稀にみる貴重なものである。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)