木造釈迦如来坐像 もくぞうしゃかにょらいざぞう

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉 / 1195
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19900629
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 慈眼寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 法界定印【ほつかいじよういん】を結ぶ釈迦如来の三尺坐像で、像内の墨書銘により、願主生阿弥陀仏をはじめ重源【ちようげん】周辺の阿弥陀仏号をもつ六十(重複を除き三十六)人が中心となり、合わせて百五十余人にのぼる僧俗男女が結縁合力して建久六年(一一九五)七月八日に造立を始めたことがわかる。その背景には鎌倉前半における南都仏教復興にともなう釈迦信仰の高まりと、重源による東大寺再建を契機とする作善としての造仏の普及があると考えられ、本像はこれをうけた造像の最も早い時期の遺例として注目される。
 像は、檜材を用い、頭躰幹部を一材から彫出して前後に割矧【わりは】ぎ、両肩外側の各一材と両脚部の横一材、両手先、左右の袖上面を矧付け、首〓を割矧ぎ、面相部分を割矧いで玉眼【ぎよくがん】を嵌入している。この頃の慶派の作例に較べると材はやや薄く均一に内刳りされ、これに応じた浅い彫法に加えて、頭髪部を除く表面は、布を貼り、厚手の錆【さび】下地・黒漆塗りの上に漆箔【しつばく】を施しており、肉取りは全体に穏やかな丸みのある起伏をなす。面相部や胸元の表現には若々しい張りがあり、着衣には流動感のある褶襞をにぎやかに表すが、なお基本的には平安後期和様のゆったりと整った趣をみせる作風で、それは仁平元年(一一五一)の奈良・長岳寺【ちようがくじ】阿弥陀如来像(重文)や治承元年(一一七七)の静岡・瑞林寺【ずいりんじ】地蔵菩薩坐像(重文)など、平安末の南都仏師の遺品に通じるものといえよう。鎌倉初期彫刻の基準作例の一つとしての意義も大きい。

木造釈迦如来坐像

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