木造不動明王坐像 もくぞうふどうみょうおうざぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19970630
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 大徳寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 髪際で八尺を測る、丈六の不動明王坐像である。両眼を見開いて上歯牙をむき、頭頂には沙髻を戴き、左耳前を弁髪がねじれつつ垂下するなどの特徴は彫像では京都・同聚院像(重文)などに先例のある、基本的に円珍請来の図像に基づいた不動明王の一形式とみなされる。
 カツラ材の寄木造で、頭・体幹部を通して正中および前後で矧ぎ合わせる四材より彫成する構造になる。両腕は肩・臂・手首でそれぞれ矧ぎ、上膊・前膊ともに二材矧ぎとする(右上膊後半材のみケヤキ材製)。両足部は右足第二指を通る線で前後二材矧ぎで、両膝奥はそれぞれ側面に上下二材、上面に一材の計三材を矧ぐ。像内は材の厚みを均等に残して平滑に浚っている。
 表面は布貼、錆下地黒漆塗のうえ、白下地彩色が施されるが、一部に当初かとみられる布貼が認められるほかは後補である。
 全身のなだらかな肉取りや浅く整えられた衣文など、その作風には平安後期の特色が顕著にうかがえる。童子を思わせる温雅な像容は、たとえば同じ図像による京都・大覚寺像(重文安元三年=一一七七ころ)などを想起させる。こうした中央作例に比べれば多少、表現に洗練みを欠くことは否めず、また東北地方の造像に多いカツラ材を用いることからみて当地の仏師による製作と思われるが、四肢のつながりも自然に、大像をまとめあげた技量には注目すべきものがある。その造法も躯幹部材の前面下端より三本、両側面下端より各一本の像心束をそれぞれ像内に下し上半身の重みを支え、両腕は手先まで刳りを入れて矧ぎ目にかかる荷重の軽減を図るなど、巨像製作に習熟した作者の手腕をうかがわせる。
 十二世紀前半、藤原基衡による平泉への王朝文化の移植をひとつの契機として、定朝様による仏像様式が東北地方にもたらされた。その影響は奥州藤原氏の勢力下にあった東北諸地域に広く及んでいる。当寺のある本吉の地にはかつて摂関家五ヶ庄の一、本良庄があり、同庄は奥州藤原氏による実質的支配を受けていたとみられる。本像の造立にもなんらかのかたちで藤原氏の関与があった可能性があろう。保元年間(一一五六-五九)に百済国より将来されたという伝承があるが、この時期を製作年代のひとつの目安とすることもできよう。
 表面を後補の彩色に覆われ、また一部に材の朽損が著しく補修を施されているが、両手指のほとんどに至るまで製作時の像容をとどめており、右手に握る三鈷剣(ヒノキ材(か)製、布貼漆箔)が当初のものとみられることも貴重である。

木造不動明王坐像

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