銅造菩薩半跏像 どうぞうぼさつはんかぞう

彫刻 / 飛鳥

  • 飛鳥
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19860606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 極楽寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 江戸時代に鞘仏として造立された木造如意輪観音半跏像の胎内に納置され、当寺の本尊として祀られていた小金銅仏である。右手の第二・三指を頬にあて、左足を踏み下げる半跏思惟の形をとる。その大きな頭部は前に傾け、やや面長の頬や口元の肉付けに自然な柔らかさが感じられるが、胴のくびれた痩身の躰躯と細く長い腕は簡略な肉取りとしている。大ぶりの宝冠の中央に房飾りをあらわし、冠紐と腰佩を左右に張り出すが、それらの背面にはモデリングが施されず、裳や榻座背面に懸る布の、規則的な意匠を表す襞の構成も古様である。こうした像容の源流は六-七世紀の朝鮮に求められ、わが国では長野・観松院と奈良・神野寺にこの像とよく似た小金銅仏(各重文)が伝存している。ただ、時期的に先行すると考えられる観松院像の両眼が輪郭に沿って鋭く彫り込まれているのに対して、ここでは大阪・野中寺の銅造弥勒菩薩半跏像(重文)をはじめとする七世紀中頃以降の作例に多い上瞼を一段高く盛り上げた優しい伏目となっている。胸や腹部に加わる丸味や右脚部の線条による衣文は、右肘の下におく宝珠の形式とともに神野寺像との相近い関係を示唆するものといえるが、肢躰の構成は神野寺像に比較してのびやかであり、榻座にめぐらす襞も深く、力づよい表現を示す。七世紀後半も早い時期における優品として注目されよう。
 像は台座を含めた全容を蝋型によって一鋳としており、頭部はムクであるが、胸以下はこの時期の金銅仏としては比較的薄手のほぼ均一な厚味(〇・四-五センチ)につくり、鋳上りもよい。榻座背面に嵌金で塞いだ方形(縦二・五センチ、横一・六センチ)の型持痕があり、後頭部に光背の〓を鋳出す。表面は火中による焼肌を呈して鍍金の痕をとどめず、左足先を含む像底の一部が欠失している。

銅造菩薩半跏像

ページトップへ