本図は、真如寺前首座【すそ】源三が維那【いのう】として東福寺にあった時に描かれ、維那寮に置かれたものである。これに南宗士綱【なんじゆうしごう】(東福寺五十六世、応永八年寂)が賛しているが、肖像はおそらく将来本をもとにわが国で転写されたものと考えられる。応菴曇華【おうあんどんげ】は、虎丘【くきゆう】の法嗣【はつす】で大慧【だいえ】と並び称される宋代禅林の耆宿【きしゆく】で、密菴【みつたん】等はその門に参じているなど、その名は広く知られているが、肖像画は少ない。本図は制作年代のわかる基準的作例として、また数少ない中国禅林肖像画の欠を補うものとして珍重される。