越前における東大寺領荘園であった糞置荘【くそおきのしよう】の一劃を占める小高い丘上の観音堂に秘仏として祀られる、等身の十一面観音像である。木心を中心やや後寄りに籠めた檜の縦一材から、髻頂より足〓【あしほぞ】までを彫成し、頭上面、左手臂先、右手先、右前膊外側、両足先(いずれも後補)を各別材矧付とする。内刳りはなく、背面左臀部と裳裾に板材(裳裾分は後補)を当てている。別材製の天衣の体正面をわたる上段分と同垂下部を失い、表面は全体にわたりやつれが著しく、ほぼ素地【きじ】を露している。
この種の一木彫成像としては比較的頭部の小さい、長身の整った像容は広島・龍華寺の延喜通宝が納入されていた十一面観音像(重要文化財)などに近い。両眉がつながるいわゆる連眉【れんび】は、九~十世紀の作例にしばしばみられる特色である。その顔立ちは在銘遺品のなかでは寛平四年(八九二)の和歌山・慈尊院弥勒仏像(国宝)と近く、耳輪【じりん】が太く耳朶【じだ】が左右に張った耳の形も共通するが、本像は慈尊院像より表現が穏やかで、その製作は十世紀初頭とみるべきであろう。保存状態は良好とはいえないものの、正統的な作風を示す平安前期の一木彫像として評価される(図版は一六ページ参照)。