北山古墳 きたやまこふん

史跡 古墳

  • 鳥取県
  • 東伯郡湯梨浜町
  • 指定年月日:19800603
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

S54-12-038[[北山古墳]きたやまこふん].txt: 鳥取県の中央部にある東郷池の周辺は、山陰地方で最も大規模な古墳が多く営まれ、古墳文化の開花をみた地域の一つである。東郷池をめぐって、北岸の馬山丘陵にある約20基からなる橋津古墳群が既に史跡として指定されており、馬山4号墳(復元全長100メートルの前方後円墳)、馬山2号墳(全長70メートルの前方後円墳)が含まれている。東岸に狐塚古墳(全長90メートルの前方後円墳)、南岸に北山古墳(全長110メートルの前方後円墳)がその代表的な古墳として往時の景観を今に伝えている。
 北山古墳は、東郷池の南岸近く、南から突出した北山丘陵の先端頂部にあり、東郷池や羽合平野、遠く日本海を一望する景勝の地に営まれている。昭和41年、大村俊夫等が発掘調査を行っている。古墳は前方部を西南西に向いているが、もともと後円部方向に降る尾根を利用し、前方部前方を幅約10メートル掘り切り、後円部は盛土して造営しており、基底高は同一ではないが、前方部の絶対高は後円部より1メートル低いだけである。全長110メートル、後円部径70メートル、高さ12メートル、前方部最大幅62メートル、前方部の造成高さは主軸上で5.5メートル、側面で9.5メートル、くびれ部幅43メートルを測る。形態上、前方部が後円部にほぼ匹敵するくらい発達している。現在梨園となり、所々に葺石とみられる石材が集積されている。
 後円部は古くに盗掘されていたが、主体部は2つあり、中央部にある第1主体部は、墳頂下約2.5メートルの所に礫敷と散乱した石材を残していた。礫敷は長さ6.2メートル、幅4.4メートルで長辺を主軸に合わせている。礫敷上には扁平な山石が散乱することから、礫敷を基底部としてあまり長大でない竪穴式系の石室があったものと推定されている。礫敷から前方部に向けて排水溝が設けられている。
 第1主体部の南2メートルで第2主体部と呼ぶ箱式石棺が検出された。内法の長さ1.7メートル、幅と深さ0.5メートルを測る。また第1主体部北方3メートルに長さ3メートル、幅1.8メートルの白砂敷の部分があり、若干の出土品も検出された。
 第1主体部からの出土品は、碧玉製管玉1・短甲片27片の残存があり、第2主体部からは龍虎鏡1面(「尚方作竟大……」の29字の銘文ある舶載鏡)、刀6口・斧頭1・勾玉6・棗玉1・管玉67がある。白砂敷部分からは刀1口分と鶏形埴輪頭部破片が出土した。墳丘から採集された埴輪には、円筒埴輪・朝顔形や楯形・短甲形・[[錣]しころ]形・鶏形等の形象埴輪も採集されている。
 北山古墳は、天神川や橋津川の形成した平野をのぞむ要地を占めて造営された山陰地方最大規模を誇る前方後円墳である。この古墳は、巨大化した墳丘やその形態及び出土品から中期初め頃の築造と考えられる。東郷池周辺の大規模な古墳のうちでは、長大な竪穴式石室をもつ典型的な前期古墳である馬山4号墳に始まる有力な首長の系列を引き継ぐものであり、この地域の政治的文化的推移を示す重要なものである。

北山古墳

ページトップへ