宍粟市山崎町御名にある浄土真宗西光寺(本願寺派)に伝わる婦人像で、打掛姿で数珠を持って合掌する。高麗縁の畳に正坐し、端正な細面の面貌や、細かな文様のある総鹿の子の小袖、いわゆる辻が花の着衣、金摺箔の細帯など、高貴な身分を反映している。戦国乱世の時代、武将の婦人像として描かれる例が多く、室町時代末桃山時代の制作とみられる。像主については西光寺と所縁の広瀬氏、宇野氏の婦人である可能性が推測される。
寺伝では宗祖親鸞の生母「貴(吉)光女」とされている肖像画である。画中上部には名号が記入されているが、後の時代の書き入れと判断される。
近世初期の肖像画として美術史的に極めて貴重な作品である。