芋畑図 イモバタケズ

呉春、また松村月渓ともいう。初め大西酔月に絵を学び、ついで与謝蕪村に俳諧と絵を学んだ。その頃は蕪村に倣って南画的作品や俳画を描いていたが、蕪村の死後、京都画壇を席捲していた写生派の円山応挙に近づいてゆき、この襖のような写生技法を駆使した画風を展開し、円山派と並ぶ四条派の祖となった。

芋畑図 イモバタケズ
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