平林城跡 ひらばやしじょうあと

城跡 / 中部 

新潟県
村上市
指定年月日:19780918
管理団体名:村上市(平20・4・24)
史跡名勝天然記念物

S51-12-010[[平林城跡]ひらばやしじようせき].txt: 平林城は、中世、北越後の小泉庄加納を領した色部氏累代の居館及び山城である。
 小泉庄は、越後国北端の岩船郡中央部を占める広大な庄園で、平安時代中頃に藤原氏中御門家を領家として立券され、平安時代末頃には、庄域は本庄及び加納から成っていた。鎌倉幕府成立後は、二分され秩父氏の一族が臥牛山城(村上城)を居城として本庄氏を名乗る一方、加納の地頭は平林城に拠って色部条、牛屋条及び日本海上の粟島を領し、やがて色部氏を称した。
 色部氏の所領支配は、鎌倉から室町時代を通じて大きな変動もなく続けられ、戦国時代には国人領主として、北越後に重きをなした。上杉氏による越後一国の領国化が進む過程で服属関係を結ぶが、守護代長尾氏による「下剋上」に当たっては、上杉方に付き、その結果、長尾方の中条氏らに攻められ、永正5年(1508)5月に平林城は陥落し、色部氏は長尾方に降服した。長尾氏が主家上杉氏の名跡を襲った後は、色部氏は重臣として遇されきたが、慶長3年(1598)、上杉景勝が会津に転封されるに及んで色部氏も米沢に1万石を与えられ、本領を離れて金山城に入り、平林城は廃城となった。
 平林城の遺構は、標高281メートルの要害山(古名は加護山)とその西北麓にみられる。館跡は平野に面する西側を大手とし、大別して3郭に分かれる。西南の最も大きな郭は「岩館」と通称され、東西に長い長方形で、北西隅に虎口を開き、その東には続く1郭があり、さらに東に「殿堀」と呼ばれる空堀がある。昭和49年に新潟県教育委員会が発掘調査を行い、ここに架設された木…

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