檜山安東氏城館跡
 檜山城跡
 大館跡
 茶臼館跡
ひやまあんどうしじょうかんあと
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城跡 / 東北 

秋田県
能代市檜山・扇田・田床内・冷清水
指定年月日:19800321
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

 鎌倉時代、得宗[[御内人]みうちびと]として津軽十三湊に栄えた安東氏は嘉吉年間(1441〜1443)盛季の時南部氏に追われ蝦夷地(北海道)にのがれ、茂別館を築いている。康正2年(1456)政季の時南下に成功、出羽檜山一帯を領した。政季の頃檜山城の築城が開始され、明応4年(1495)その子忠季の時に完成をみている。その後檜山安東氏は湊安東氏と対立し、天正17年(1589)檜山安東実季は湊安東道季の攻撃をこの城にうけている。しかしその後逆に檜山安東氏の勢は強大になり、湊安東氏を併合して秋田氏を称し、慶長3年(1598)までこの檜山を拠点とした。
 即ち檜山城は檜山安東氏の本城として室町時代から江戸時代初期にかけて長期間使用された山城である。霧山城あるいは堀内城とも呼ばれ、標高145メートルの山頂よりのびる2本の尾根を中心に平場、堀切をもうけて要害としている。字古城には館神、御料場、古寺、字赤館には鉄砲場、背中あぶりという地名が残り、秋田県(県庁書庫)所蔵の絵図(享保13年、天保2年作成)と照合することによってある程度城の機能を復原できる。
 城跡北方に国清寺跡があり、安東氏菩堤寺の跡である。
 檜山城の北西に大館、西に茶臼館が配された。大館跡、茶臼館跡はいずれも標高50メートル前後の丘陵末端部を数本の堀、土塁で区分した簡潔な構造であるが規模は大きい。大館跡は昭和46年から6次にわたり発掘調査が行われた。その結果多数の住居跡が検出され、土師器、墨書土器、鞴羽口、洪武通宝等の遺物が出土した。住居跡はほぼ10〜11世紀に属するが、戦国時代の大館はこれら…

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