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脇本城跡

わきもとじょうあと

作品概要

脇本城跡

わきもとじょうあと

城跡 / 東北

秋田県

男鹿市脇本

指定年月日:20040930
管理団体名:男鹿市(平20・7・11)

史跡名勝天然記念物

 脇本城跡は秋田県中部、日本海に突き出た男鹿半島付け根南岸の丘陵上に展開する大規模な山城で、中世末の安東氏の居城である。安東氏は津軽地方の豪族であり、鎌倉時代に北条得宗家に仕えた代官で蝦夷管領を勤めた。その勢力は津軽地方から北海道南部に及び、秋田地方にはその一族である檜山安東氏、湊安東氏がそれぞれ北部の檜山城、中部の秋田湊城に拠点を置いた。安東愛季は元亀元年(1570)頃に安東氏を統一して既存の城を改修して脇本城を築いた。脇本城が廃城になったのは天正18年(1590)、秀吉の奥州仕置から慶長7年(1602)の佐竹氏による久保田城築城の頃と考えられる。
 脇本城跡は日本海に面した標高100m前後の丘陵上に展開する。海に直角に突き出た生鼻崎の斜面は白い崖面を見せて象徴的であり、ここから連続する丘陵は南北約2km、東西約1.5kmの範囲をもつ。城跡からは南に日本海、遠くは鳥海山、東から北にかけては八郎潟から檜山地方、西には男鹿半島の山々が見渡せる。城跡直下の海岸には脇本港がある。
 男鹿市教育委員会では平成5年度から縄張り調査を継続し、平成12年度から発掘調査を実施してきた。その結果、内館地区、馬乗場(古館)地区、兜ヶ崎地区の3地区に主な遺構が分布することが確認された。内館地区は日本海に最も近く、分布する遺構は大規模であり、城郭の中枢をなす。谷を囲む丘陵尾根を大規模に階段状に造成して、一辺が数十m規模の方形を呈する郭が連続して配置される。郭には高い土塁が囲み今も窪みとして残る井戸も見られる。馬乗場地区は丘陵中央に位置する。広く整地を行い、T字状に直線…

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