里見氏城跡
稲村城跡
岡本城跡
さとみししろあと
いなむらじょうあと
おかもとじょうあと
概要
里見氏は戦国時代から江戸時代まで10代,約170年間にわたり,房総半島南部を拠点とした一族である。房総里見氏は,初代里見義実(よしざね)が白浜城(しらはまじょう)(南房総市)に本拠を構えて以降,その時々の状況に応じて,数次にわたって本城を移動させている。
稲村城は,16世紀前半,3代義通(よしみち)が居城とした城で,4代義豊(よしとよ)が5代義堯(よしたか)に攻め滅ぼされた「天文(てんぶん)の内訌(ないこう)」の舞台となった城である。館山平野中央部南辺の丘陵端に位置する。丘陵先端部にある主郭(しゅかく)は,東と南の二辺に高さ約3mの土塁を持ち,北と西の斜面は,丘陵の側面を掻き落とし障壁とする切岸(きりぎし)手法を駆使し防御とする。主郭の規模や,切岸の範囲は同時期の房総半島の城の中では抜きんでている。
岡本城は,義堯の孫義頼(よしより)が16世紀後半に本拠とした城である。現在の東京湾を望む丘陵上に造られ,城跡の規模は,東西約600m,南北約300mに及び,この地域の城の中では抜きんでた規模を持つ。中心部分は3つの曲輪(くるわ)からなり,山頂の主郭の北東に広がる曲輪は,港としての機能を持っていたと推定されている。
里見氏城跡は,房総半島における中世山城の変遷(へんせん)や,この地域の社会・政治情勢を知る上でも重要である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)