日野江城跡
ひのえじょうあと
概要
S50-12-052[[日野江]ひのえ]城跡.txt: 近世、九州の有力大名である有馬氏が、日向県に移る以前に本城としていた城である。有馬氏は、建保年間(1213〜1218)頃、肥前国有馬荘の地頭に補任され、その後戦国大名として頭角を露わし、キリシタン大名として著名な晴信の頃には肥前の大半を領有するまでに至っているが、当時の居城である日野江城がいつ頃築かれたものかは必ずしも明らかではない。
現存する城の形態は戦国時代の山城であり、標高81メートルの通称本丸を中心に、多くの[[曲輪]くるわ]が階段状に配されている。大手は東側と考えられており、この付近には石垣が良く遺存している。その他の個所では、石垣はほとんど見られないが、これは、有馬氏の後に入封した松倉重政が、のちに島原城を築く際、日野江城の石垣を搬出したためといわれている。そしてこの時に、本城は廃され、今日に至っているが、著名な有馬氏の本城としての歴史的意義は大きい。