母子〈上村松園筆/絹本著色〉
ぼし〈うえむらしょうえんひつ/けんぽんちゃくしょく〉
概要
上村松園(一八七五~一九四九)は、京都府画学校の北宗(四条派)に学び、次いで鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳に師事し、浮世絵や風俗画、江戸後期京都画壇などの古画を研究して、豊かな感情表現を伴いつつも格調高い独自の美人画様式を確立した。
本図は昭和九年十月の第十五回帝国美術院展覧会出品作で、班竹の簾を背景に、眉を剃りお歯黒をした女性が幼児を抱き上げ慈しむような視線を向ける様子を、ほぼ等身大に描く。明治期京都の町家の婦人の姿であり、幼児の無垢で純真な性質と、美しくも安心感のある母親の頼もしさを表現する。
全体に明るくやわらかい賦彩を行い、髪や帯に黒色を配することで明暗の対照を作る。着衣の縞模様などを引く堅実で無駄のない描線や、簾の描写に見る極細密な表現などには松園の技量の高さをうかがう。画面左側は余白とするが、簾によって遮られた背景の奥行きを暗示させる画面構成である。
本図制作の契機には、かけがえのない理解者であり支えであった母仲子がこの年二月に亡くなったことが大きく、眉を剃った女性であることからも母への追慕という私的な事情が造形化されたものといえる。しかし一方でこのころの松園は当時の帝展について、特にその出品作の彩色法などに対する批判を繰り返し、また同じく当世風俗についても急激な西洋化により古き良きものが失われていくことに懸念を表明している。本図はしばらく不出品であった帝展に久しぶりに発表したもので、これは当時の帝展出品作の傾向への批判として、さらには当世風俗に関する批評として、松園なりの応えを提示したものと位置づけられる。
松園は生涯を通じて独自の美意識を体現する品格ある美人画の制作に努めた。その題材の一つを謡曲の世界に見出し、能を主題とする作品を多く手がけた。「序の舞」(平成十二年六月二十七日重要文化財指定 東京芸術大学)は、同時代の風俗の女性が緊張感ある一瞬の所作を示す松園の代表作である。松園はまた自らの美意識の表現を失われつつある明治期の女性の風俗の中に求めた。特に母の没後は、それは母のイメージと重なり、以降は母性を主題とした作品が多く描かれる。「母子」はその画期となる作品で、松園芸術の到達点の一方を示す代表作例ということができる。