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山下公園

やましたこうえん

概要

山下公園

やましたこうえん

名勝 / 関東 / 神奈川県

神奈川県

横浜市中区山下町

登録年月日:20070206
管理団体名:

登録記念物

山下公園は、大正12年(1923)に発生した関東大震災の復興事業の一環として、日本で最初に開設された臨海都市公園である。震災に伴って発生した大量の瓦礫の廃棄場所として横浜市山下町海岸通地先の海面が指定され、内務省復興局の直轄事業の下に公園用地が造成された。大正14年(1925)に護岸工事が始まり、昭和5年(1930)に竣工・開園した。
 開設当初には、ホテル・ニューグランドに面する公園南側中央部の正門をはじめ、海岸通沿いの計5箇所に入口が設けられた。正門を入ると噴水を中心として左右に花壇が展開し、その両側にパーゴラが設けられた。現在では、正門を含め4箇所の門柱、正門から西側の外柵などが開設当初のまま遺存するのをはじめ、特に正面内の西側の区域においては、当時の地割が良好に残されている。
 また、横浜港に面する石積護岸の中央及び両端の3箇所には、石積護岸が楕円形に張り出してバルコニーを形成し、曲面を描く石積に沿って水際へと降りる石造の階段が設けられた。そのうち、現在では中央と西側のバルコニー・階段が遺存する。
 昭和14年(1939)には、震災時に受けた恩恵への返礼として、横浜印度商組合が公園の西端部に水飲場を寄贈した。イスラム風の意匠を凝らした外観に特徴があり、「インド水塔」として広く市民に親しまれている。
 また、開設当初には、ボートが直接上陸できるように、園内の中央やや東よりの位置にボート・ベイシン(端艇溜)が築造されていたが、現在では当時の取入口に当たる橋と水門の遺構のみが遺存し、その他の部分は昭和29年(1954)から昭和32年(1957)にかけて沈床花壇として再整備された。
 第二次世界大戦中は日本海軍が公園地を接収し、戦後は米国進駐軍の住宅用地として利用されたが、昭和29年(1954)の接収解除及び返還を経て、昭和35年(1960)には公園地の全域が市民に開放された。
 以上のように、山下公園は震災復興事業の一環として造成され、今日なお保健・休養の場として重要な機能を持つ都市公園であることから、その公園史上の意義は深く、風致に富んだ優秀な景趣は造園文化の発展に十分寄与していると考えられる。

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キーワード

公園 / 開設 / こうえん / 都市

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