文化遺産オンライン

ガランドヤ古墳

がらんどやこふん

概要

ガランドヤ古墳

がらんどやこふん

古墳 / 九州 / 大分県

大分県

日田市大字石井

指定年月日:19931013
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

ガランドヤ古墳は、大分県の西端に位置する日田市に所在し、日田市南西部の三隈川(筑後川の上流)が北に大きく蛇行する左岸段丘上に位置する。日田市は、地理的な条件から、北部九州古代文化の影響を強く受けていることが、市内に所在する遺跡の内容からよくうかがえる。ガランドヤ古墳は、二基の装飾古墳として古くから著名なものであり、既指定の穴観音古墳(昭和八年指定)、法恩寺山三号墳(昭和三十四年指定)とともに、筑後川流域に点在する装飾古墳文化圏に属するものとしてとらえることができる。日田市教育委員会は、昭和五十九年度・六十年度に確認調査を実施し、両古墳の内容をほぼ明らかにした。一・二号墳とも、周辺には民家が立ち並び、封土の大半が流出し、石室が露出している。墳丘は、両墳とも径二五~三〇メートルほどの円墳であったと推定されている。内部主体は、いずれも両袖複室の横穴式石室であるが、部分的な調査であったため、全体の規模は明らかにされていない。
 一号墳の玄室は幅三メートル、長さ四・三メートル、高さ三・三メートルの規模で、床面は河原石敷、奥壁に並行して幅一・三メートルの屍床が設けられ、その前面に障石とみられる板石が二枚立てられている。前室は、幅二メートル、長さ二・一メートル、高さ二・七メートルの規模で、床面は河原石敷、玄室との間には幅〇・六メートル、高さ〇・二メートルの仕切石が置かれている。出土遺物は、須恵器、土師器、馬具、鉄鏃、耳環、玉類であり、これらから一号墳の築造年代は六世紀後葉と考えられている。二号墳の玄室は、幅二・八メートル、長さ三・三メートル、高さ三メートルの規模で、床面は河原石敷、奥壁に並行して大きな板石一枚からなる幅二・四メートルの屍床が設けられている。出土遺物には、須恵器、馬具、鏡、耳環、玉類、鉄製武器、鉄製工具があり、二号墳の築造年代は、六世紀中葉と考えられている。
 一号墳の彩画は、障石前面と奥壁に認められる。顔料は赤と緑を併用しており、赤で文様の形を描いた後、緑で縁取りしたものが多い。障石には縦縞文様が描かれ、奥壁には、人物・動物・鳥・飛鳥(?)・舟(?)・円形・楕円形・x字状などの文様が描かれる。二号墳では、石室(玄室)内面がほぼ全面に赤彩されるが、壁画は奥壁にのみ認められる。赤彩の上に緑で文様が描かれており、馬上で弓を引く人物・同心円文・複線の連続山形文がある。
 ガランドヤ古墳は、時期の前後する二基の古墳が近接して存在し、ともに壁画を有していること、一号墳の図柄の多様さ、二号墳の赤地塗りに緑で作画する技法の特異性、両墳に共通する緑の多様など、注目すべき特色を有している。また、発掘調査によって多くの遺物が出土したことは、装飾古墳としては類例が少なく、本古墳の学術的価値をより高めたものといえよう。
 よって史跡に指定し、その保存を図ろうとするものである。

関連作品

チェックした関連作品の検索