永保寺開山堂
えいほうじかいさんどう
概要
永保寺開山堂 一棟
永保寺の池の西の奥まったところにあり、永保寺の開山、元翁本元(1281-1332)をまつる堂である。禅宗寺院開山堂の典型で、礼堂にあたる外陣の昭堂と、開山の墓塔および頂相を安置する内陣の祀堂を、両下造化粧屋根裏の相の間で複合した形式になり、外観上の高低差の処理、昭堂と相の間を一連にした内部の構成がみごとである。様式からみると祀堂のほうがやや古いと思われ、江戸時代の『住持歴代』に開山塔を貞和3年(1347)の建立とするのは祀堂に相当すると考えられ、昭堂は南北朝時代の作であろう。
祀堂部分は高い壇上に建つ方一間裳階付の形式で、組物を三斗、裳階を板軒にして簡素な禅宗様式を示し、内部の後方に墓塔の宝篋印塔一基、中央に元翁本元と夢窓疎石(1275-1351)の頂相を安置し、主屋上部を鏡天井とする。
方三間入母屋造の昭堂は本格的な禅宗様意匠を示し、詰組三手先組物を組み、軒を二軒の扇垂木とし、扉や窓には花狭間を用いる。昭堂の内部は相の間境に虹梁状の頭貫を用いて柱を省き、また、梁行一杯に虹梁をかけわたして内部に柱を立てず、相の間と一体の内部を構成する。昭堂上部は虹梁大瓶束架構で中央方一間部分の詰組二手先組物と鏡天井をうけ、また側回り組物から尾垂木尻が持送られる。両下造化粧屋根裏の相の間は両脇に腰掛を設け、正面の中央扉口と脇壇の構成も端正である。当堂は変化ある複合建築として内外構成の妙を発揮した禅宗様の優作である。
【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)