一方井家所蔵自光坊修験関係資料 いっかたいけしょぞうじこうぼうしゅげんかんけいしりょう

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歴史資料 / 江戸 / 東北 

岩手県
江戸~明治
別紙リスト参照
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455件484点
岩手県盛岡市内丸1番50号
盛岡市指定
指定年月日:20190325
有形文化財(美術工芸品)

「一方井家所蔵自光坊修験関係資料」は,現在,一方井家に伝来している修験者自光坊に関わる歴史資料群である。
自光坊は聖護院末の本山派修験者で,盛岡藩領内修験の筆頭年行事となり,元禄2年(1689)から領内修験者の統轄役である惣録の職務に代々当たった。近世中頃には,盛岡・志和・田名部・鹿角に縄張りである霞場を有し,岩鷲山大権現,神明宮の別当として200石を給され,53の末院を持ち,32の羽黒派修験を支配していた。自光坊は,代々同名を襲名し,明治期に至るまで13代続いた。
当該資料群は,最後の自光坊である13代快孝の死後,弟子の吉祥院琰貞(還俗して一方井貫三)が引き継ぎ,その後代々一方井家に伝わったものである。
総数は455件484点であり,大きく文書類448件474点と法具などの器物類7件10点に分けられる。資料年代は,永禄6年(1563)から明治31(1898)までである。内容は補任・免 許状,本山・上納金・音信関係,藩政・修験支配・法令・達関係,岩手山信仰・自光坊来由・諸祭礼,家督・跡目関係,聖教・修法関係,幕末明治維新期・箱館開教・修験道廃止・快孝山籠関係,寺社領支配関係,売買証文・借用証文・諸証文・経済生活関係,文芸・教育・和算・武芸・美術関係,包紙など,多岐にわたる。器物類は,自光坊に係る一連の装束・法具や器類である。
盛岡藩内のみならず東北地方全体の修験道の歴史展開を俯瞰できるとともに,神仏分離令及び修験道廃止という状況のなか,残りにくい膨大な修験道関係史料がまとまって保存されており,盛岡藩修験の惣録としての自光坊の実像や盛岡藩の修験道の歴史と文化を知る上で,貴重な史料群である。
市の歴…

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