鰤大敷網創業者紀念碑 ぶりおおしきあみそうぎょうしゃきねんひ

近世以前その他 / 昭和以降 / 近畿 

三重県
明治/1911~1912
石造
高さ340cm、横幅227cm、奥行221cm
1棟
北牟婁郡紀北町島勝浦214番地
紀北町登録
指定年月日:20170901
島勝浦区
有形文化財(建造物)

 碑に明治四十四年(一九一一年)と記銘されていることから、今から百余年前に建立されたものと思われる。
 明治維新後の漁村はどこも経済的に苦しんでいたが、加藤幸太郎氏と玉井弥兵衛氏の二青年が、当時漁獲する方法がなく湾内を悠々と回遊する鰤に目を付け、その捕獲に浦の将来を託さんと志を立て、定置網で獲る方法が始まった宮崎県に赴き、その方法を伝習し帰郷した。定置網は多くの人手と資本を要するため、二人は島勝浦の共同事業として起こす決意をし、全戸を廻り説得、明治三十一年に島勝浦の共同事業として「鰤大敷共同組合」の結成にこぎつけた。
 明治三十一年当時、総収入は三万円に過ぎなかったが、十年後の明治四十年には四倍を上回る十三万円を水揚げする近隣きっての富裕村に生まれ変わった。
 碑文の最後には、格調高い漢詩がつづられている。
「寒村回春 水陸輪珍 鐫績貞珉 百世弗泯」
「貧しかった浦に春が来たようだ。豊かな物資が各地より集まり、人々の楽しい暮らしは末永く続くであろう。」と言う意味である。この銘文の筆者は当時の農商務省水産講習所長、松原新之助氏、浦人の代表者として、山下虎吉氏、野澤定之助氏、中村熊蔵氏の名が刻まれている。
 明治の新時代に乗り遅れそうになった故郷に新事実を興し、浦の再生を成功させた二青年の偉業は、現尾鷲市の九鬼浦、大紀町の錦浦にも波及し、この三ヶ浦は三大鰤王国として日本中に知られていく。
 この碑は、自然環境や資源の変化により危機的状況に直面している故郷の漁業を地域の人々が自ら克服していく、努力を重ねることの大切さを呼びかけている重要な文化財であ…

作品所在地の地図

関連リンク

  • 地方指定文化財データベース

鰤大敷網創業者紀念碑チェックした作品をもとに関連する作品を探す

尾鷲九木浦の正月行事
丹後の漁撈習俗
野母の盆踊
大島暖地性植物群落
出浦家文書
ページトップへ