延喜式 巻二十七
えんぎしき まきにじゅうなな
概要
日本では7世紀の後半に、中国の例を学んだ法律が取り入れられました。それを律令(りつりょう)といいます。律は犯罪を罰する刑法、令はそれ以外の法律を指す言葉です。しかし、中国にならった律令は、日本の実情に合わない部分も多く、それを補うために出された法律を格(きゃく)といいます。そして、この律・令・格を実際に運用するうえで必要になる細かな規則を式と呼びます。平安時代において、この式は社会の変化に合わせてたびたび改められ、補われました。その中でも、延喜5 (905) 年に、醍醐(だいご)天皇の命令によって編集を開始したのが延喜式です。これ以前の式は一部しか残っていませんが、延喜式はほぼ完全な形で伝えられている点で重要な史料です。
今回ご紹介する延喜式は、オリジナルを書き写した文章で、写本と呼ばれるものです。この写本は現存する中で最も古く、奈良・平安時代を通じて権力を握っていた藤原氏の一族である九条家に伝わりました。延喜式は全50巻で構成されていますが、そのうちの27巻が残っており、1巻を除くすべてが平安時代の後期に書き写されたものです。
延喜式の内容のうち、半分近くが毎年特定の時期に行われる行事に関するものです。行事の時期や内容を把握しておくことは、宮中で働く役人にとって重要なことでした。この史料も行事を確認するために写されたと考えられます。九条家ではこの延喜式を代々の当主が手にしていたのでしょう。
また、内容については楷書で記されているので、見たことのある固有名詞が見つかるかもしれません。当時はどのように使われていたのかを想像してみる、あるいは知っている名称を探してみるというのも、この作品の楽しみ方の一つかもしれません。