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北海道・恵庭市

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))北海道西島松5遺跡出土品北海道恵庭市牧場219

北海道西島松5遺跡出土品

 西島松5遺跡は、石狩平野のほぼ中央にあり、擦文時代前半(7〜9世紀頃)の土坑墓や周溝墓が多数発見された遺跡である。
 特に8世紀前半までにつくられた土坑墓からは副葬品が豊富に出土し、大刀や刀子 、鉄鏃、工具類などの鉄製品は、道内諸遺跡の出土品と比べ種類、数量とも群を抜く。なかでも刀類は、木製黒漆塗りの柄や鞘、その上に
巻かれた糸や樹皮、身に帯びるための革紐や組紐など、有機質痕跡が良好に残り、使用された当時の姿や製作方法を知ることができる貴重な遺例である。また、大刀には畿内で製作された金銀装の装飾付大刀、東北北部の末期古墳に副葬される蕨手刀や短寸の方頭大刀があり、北海道中央部と本州との関係性を明瞭に示す。東北北部との繋がりは、錫製の耳環や、柄や鞘を錫鋲で装飾する大刀の存在からも注目される。
 土坑墓の壁には小さな坑が設けられ、そのなかには甕や注口土器などが納められていた。これらは総じて小形で、多くはうつわの口や底の一部が意図的に打ち欠かれている。副葬に際しての、葬送用の土器を打ち欠く儀礼
行為を復元することができよう。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)カリンバ遺跡恵庭市

カリンバ遺跡

 カリンバ遺跡は、道央地方南辺に位置し、千歳川の支流であった旧カリンバ川に面した標高約25m前後の低位段丘面とその北側の低地面にかけて立地する。両者の比高は約2mほどである。旧カリンバ川流域には数多くの縄文遺跡が分布するが、本遺跡周辺が最も分布密度が高く、さらに各時期の集落跡も見つかっていることから縄文時代においてこの地域が中核的な役割を担っていたことを物語っている。
 平成11年度に恵庭市教育委員会が土地区画整理事業に伴い発掘調査を行ったところ、縄文時代後期後半から晩期初頭にかけての竪穴住居、土坑、土坑墓、焼土などを検出した。なかでも土坑墓は低位段丘面に密集して分布し、豊富な副葬品が出土したものもある。副葬品は赤漆塗り櫛と玉類の組み合わせが基本で、他に各種漆製品、石棒、土器が伴う場合がある。これらの土坑墓には複数の人骨が出土する合葬墓と単一の人骨が出土する単葬墓があり、後者が多く検出されている。しかし、後期末の御殿山式土器の時期には長径1.5m以上、深さが1m近くもある合葬墓が増加し、多数の装身具類が副葬されるなどの大きな特徴が見られる。合葬墓からは頭飾り、額飾り、耳飾り、腰飾り帯、紐状製品など、これまで例を見ない漆製装身具類が出土している。
 恵庭市教育委員会では大型の合葬墓などの重要な遺構の切り取り保存を行うとともに、平成12年度から土坑墓群の範囲及び遺跡の内容を確認するための発掘調査を行った。調査の結果、低位段丘面からは900基を超える土坑墓が新たに確認され、遺跡全体では東西約160m、南北約120mの範囲に3000基ほどの土坑墓があるものと推定されている。また、低地面からは貯蔵穴、柱穴、焼土のほかに土坑墓の副葬品と同様の赤漆塗り櫛や腕輪、サメの歯、滑石製玉類が出土した。さらに粉末状の赤色顔料、赤色顔料入りの土器、赤色顔料を粉末にする際に使用したと推定される板状の礫などが出土し、この区域が低位段丘面の墓域と密接に関係した作業空間及び生活空間として機能していたことが判明した。このほか、シカやイノシシなどの動物遺体や植物遺体も多く出土しており、当時の食生活や植生を知る具体的な資料も得られた。また、土坑墓に比べて竪穴住居の検出数が2棟のみと極めて少ないことから、周辺地域一帯の共同墓地としての性格が考えられる。
 本遺跡は北海道を代表する、縄文時代後期後半から晩期初頭にかけての、多数の墓によって構成される遺跡であり、豊富な副葬品を持つ土坑墓群や数多くの合葬墓は縄文時代の埋葬習俗、装身文化、漆工技術を考える上で極めて重要である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))北海道カリンバ遺跡墓坑出土品北海道恵庭市南島松157-2
※うち71点は北海道恵庭市牧場219

北海道カリンバ遺跡墓坑出土品

本件は北海道カリンバ遺跡の墓坑から出土した副葬品の一括である。本件はカリンバ遺跡出土品のうち、本遺跡を特徴づける縄文時代後期から晩期の三基の墓坑(第118号、第119号、第123号)から出土した副葬品の一括である。
 これら副葬品を代表するものは櫛、腕輪、耳飾り、腰飾り、額飾り、頭飾りなどの漆を用いた装飾品である。これら装飾品は人骨は存在しないものの死者の装飾部位を特定することが推測できる第一級の資料である。