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群馬県・藤岡市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)高山社跡藤岡市

高山社跡

高山社跡は、明治時代に高山長五郎が清温育(せいおんいく)と呼ばれる養蚕方法の開発・普及教育を行った高山社に関する遺跡である。清温育とは、それまでの自然に任せた清涼育と人工的に温湿度を管理した温暖育を折衷したもので、蚕の成育状況に合わせて蚕室の温度調整や換気を行う優れた飼育方法として、一時期全国標準の養蚕指導法となった。長五郎は、明治3年(1870)養蚕改良高山組を組織して養蚕改良に取り組み、同16・17年頃に清温育を確立したとされる。同17年に養蚕改良高山社を設立し社長に就任するも、同19年没した。高山社はその後も発展し、蚕業学校を開設して清温育の普及に努め、全国から生徒の受け入れ、指導者の全国派遣を行った。高山社跡は、長五郎が没するまで居住・清温育の開発・指導教育を実践した地であり、高山社が同20年に藤岡市内に移転した後も、戦前まで分教場として利用された。現在、江戸時代末から明治時代前半に建てたと考えられる母屋、長屋門、賄小屋、外便所等の建物や、桑貯蔵庫が残る。
このように、我が国近代の養蚕業の発展を理解する上で貴重である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)白石稲荷山古墳藤岡市白石

白石稲荷山古墳

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)譲原石器時代住居跡藤岡市譲原

譲原石器時代住居跡

 神流川の上流左岸に臨む段丘地帯に存し、現在美原小學校讓原分教場の敷地となっている。昭和十二年六月に發見されたもので岩塊をもつてほゞ長方形に敷き、長径約7尺8寸、短径約6尺5寸を有し、その週辺に石礫が残存する。中央に扁平石の組合せによる長方形の爐跡が存するが、住居跡内に石鏃、石斧、石錐が檢出されこの附近から縄文式土器を初め土偶滑車形土制耳飾等の土製品や、石鏃、石錐、石皿、石棒等の石器が出土した。
 石器時代の敷石住居跡としては比較的規模も小さいが、かゝる奥深い山狹地帯に存する例として稀有のものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)本郷埴輪窯跡藤岡市本郷

本郷埴輪窯跡

丘陵の東南面傾斜地に營まれたるものにして二箇所ありて孰れも登窯の形式を示せり一は前部と後部との二分に分たれ前部は喇叭口状に擴がれり、後部は約30度の傾斜をなし長さ約13尺5寸幅約4尺を有し略々圓筒状をなせる如く側壁及底床は堅緻なる粘土を以て構成せられたり、前部は長さ約18尺幅約6尺を有し約10度の傾斜をなし後部に近き区域は焚口部をなせるものと認められ埴輪馬を初め各種の形象埴輪破片等散乱せり、一は其の北方約13尺の位置に位し略々同様なる形式を示し後部の長さ約16尺幅約5尺あり前部の区域より埴輪圓筒破片、埴輪馬破片、埴輪武器破片等出土せり。
我国に於ける上代埴輪窯の構造を示すものとして価値あるものとす。