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東京都・練馬区

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))佐々木家住宅主屋東京都練馬区小竹町1-36-11

佐々木家住宅主屋

西と南に接道した敷地に西を正面に建つ。木造平屋建、東西棟の寄棟造桟瓦葺。玄関から中廊下が延び、北側に水まわり等、南に洋間や、縁を介した客間と居間を並べる。押入の設置や部屋の雁行配置で部屋の独立性を高める。同潤会木造分譲住宅の姿をよく留める。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)練馬白山神社の大ケヤキ練馬区練馬四丁目

練馬白山神社の大ケヤキ

根元ニ高サ約一メートルノ盛土アリ根元ヨリ一.五メートルノ高サニ於ケル幹圍約十メートルナリ 主幹ハ折レ東側ヨリ出デタル支幹之ニ代レリ 欅ノ巨樹トシテ有數ノモノナリ

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)三宝寺池沼沢植物群落練馬区石神井台一丁目

三宝寺池沼沢植物群落

三寳寺池ノ小島ニアリ地面ハかきつばたヲ以テ被ハレ其ノ他みづがしは、みくり、てんつき等ノ濕草發生ス旧時ノ武藏野中著シキ沼澤植物群落ノ一部今日ニ残レルモノトシテ學術上有益ナルモノナリ

国指定文化財(重要有形民俗文化財)江古田の富士塚練馬区小竹町1丁目59番地

江古田の富士塚

 富士山はわが国の霊山のうち、古来、信仰の対象とされた最も著名な山の一つで、修験道の行者の登拝の歴史も古代にさかのぼる。富士塚は、この富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりである。庶民の富士山信仰は、江戸中期には盛んになり、この頃から、江戸を中心に富士講が所々に結成され、やがて多くの富士塚が築造されて、現都区内だけでも五十数か所の富士塚を数えるに至った。
 江古田の富士塚は、天保10年(1839)に築造されたものとされているが、一説には文化年間(1840~1817)の築造ともいう。高さ約8㍍、直径約30㍍で、関東大震災の際に損壊したものの、その後復旧され、塚全体が富士の熔岩でおおわれている。
 頂上に唐破風屋根のついた石祠があるほか、経ケ嶽・太郎坊・小御嶽神社の石碑や、大天狗・小天狗・神猿などの石像もある。