文化遺産オンライン

カテゴリで見る

東京都・国分寺市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))沖本家住宅和館東京都国分寺市内藤二丁目43-9

沖本家住宅和館

洋館の東側に渡廊下で接続する和館。木造平屋建、桟瓦葺で北を切妻、南を入母屋造、軒浅く霧除庇を廻す。続き間座敷の南のサンルームと西の広縁に大判ガラス戸を建て、皮付や絞りの丸太を用いて全体に落着いた意匠の数寄屋風にまとめる。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))沖本家住宅洋館東京都国分寺市内藤二丁目43-9

沖本家住宅洋館

国分寺崖線上に建つ住宅。木造二階建、半切妻造金属板葺で、外壁は下見板張、南面二階と玄関ポーチ上部を黄土色の掻落土壁とする。中廊下式で南に居室、北に水廻りを配し、天井に梁形を現す居間に石張暖炉を設ける一方、引違窓や和室を持つ瀟洒な洋風住宅。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)殿ヶ谷戸庭園(随冝園)東京都国分寺市

殿ヶ谷戸庭園(随冝園)

南満州鉄道副総裁であった江口定條(さだえ)の別邸に端を発し、昭和初期に岩崎彦彌太が改修を加えた東京郊外の別荘庭園。武蔵野段丘の段丘崖(国分寺崖線)に立地し、その縁辺部の湧水と傾斜面の雑木林など豊かな自然環境を生かした風致景観は優秀であり、芸術上の価値は高い。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)武蔵国分寺跡
 附東山道武蔵路跡
国分寺市西元町・東元町、府中市栄町

武蔵国分寺跡<BR/> 附東山道武蔵路跡

聖武天皇ノ朝ニ置カレタル國分寺國分尼寺ニ次キテ曩ニ指定セラレタルモノノ外當時ノ土壇礎石及土壘等ノ殘存シテ其ノ舊規ノ多ク觀ルニ足ルモノヲ擇ビタリ
S54-6-049武蔵国分寺跡.txt: 武蔵国分寺跡は、大正11年10月12日に塔跡・金堂跡・講堂跡・北院跡・西院跡等が、昭和51年12月22日には東僧房跡が一部追加指定された。昭和54年は、その後の発掘調査によって明らかになってきた西院跡(国分尼寺跡推定地)の一部を追加して指定し、保存を図るものである。
H10-12-041[[武蔵国分寺跡]むさしこくぶんじあと].txt: 武蔵国分寺跡は、国分寺市の東南部に位置し、天平13年(741)の国分寺・尼寺創建の詔に基づいて諸国に設置されたもののひとつである。その変遷は、創建期(8世紀代)・整備拡充期(9世紀代、七重塔再建)・衰退期(10世紀代から11世紀代)の3期に分けられる。また、遺跡の調査は昭和31年以降実施され、その結果、東西8町、南北5町の寺地とその中央北寄りの僧寺地域(約4町四方)および南西隅の尼寺地域(約1町半四方)の配置と、僧寺西辺を通過する東山道等が確認されている。
 今まで、僧寺地区と尼寺地区の中心部分を保存してきたが、寺地全体の保存は十分ではない。今回、僧寺寺域を画する築地の部分と尼寺の伽藍の一部を追加して指定し、その保存を図ろうとするものである。

令和3年追加指定
武蔵国分寺跡は、国分寺市の東南部に位置し、天平13年(741)の国分寺・尼寺建立の詔に基づいて諸国に設置された国分寺の一つである。その変遷は、創建期(8世紀代)、整備拡充期(9世紀代、七重塔再建)、衰退期(10世紀代から11世紀代)の3期に分けられる。また、遺跡の発掘調査は、昭和31年以降実施され、その結果、東西8町・南北5町の寺院地とその中央北寄りの僧寺地域(約4町四方)及び南西隅の尼寺地域(約1町半四方)の配置と、僧寺の西側を通過する東山道武蔵路跡等が確認されている。大正11年(1922)史跡に指定し、戦後の昭和50年代以降、寺域全体の保存に向けて、僧寺地区及び尼寺地区の中心部分の追加指定を順次行ってきている。
今回、伽藍中心から北西の伽藍地と寺院地内西側、寺院地の南辺区画の箇所等を追加指定し、保護の万全を図るものである。