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新潟県・魚沼市
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))手仕事てほどき館新潟県魚沼市大栃山字新田道上183
敷地中央に東面して建つ。木造平屋1部2階建の中門造民家で、正面右手に、もと馬屋を設けていた中門が突出する。建築面積181平方メートル、寄棟造茅葺で鉄板仮葺とする。床上部は広間2室を配し、小屋は扠首組である。魚沼地方の地域的特色を示す民家建築。
国指定文化財(重要無形民俗文化財)大の阪
大の阪は新潟県北魚沼郡堀之内町に伝わる盆踊で、毎年八月十四日から十六日の三日間、八幡宮境内に櫓を建て、その周りで踊られる。
その起源を伝える明確な資料はないが、堀之内町が三国街道の宿として賑わい、また小千谷や十日町とともに越後縮【ちぢみ】の集散地として栄えていた近世、商用で上方との間を盛んに往復していた縮商人によってもたらされたと伝えられている。
近世には盆の十三日から十六日まで、各家々に提灯を掲げるなか、本陣を中心に町を一晩中踊り流し、裕福な家では酒食などを供して踊りを盛り上げたという。その後、幕末の戊辰戦争の混乱や明治初年の禁令の影響などにより、明治末から大正期にかけて一時衰微するが、これを惜しむ人びとの努力により昭和初年に復興し、日中戦争から第二次世界大戦終結まで再び中絶するも、戦後復活し現在に至っている。
会場となる八幡宮境内には、高さ六メートルほどの踊り櫓を丸木で組み、その上に太鼓を据え、四隅に提灯を吊るし、櫓の中央には盆踊歌の詞章を側面に記した二メートルほどの長さの六角灯籠【ろつかくどうろう】を吊り下げる。
盆踊歌は、櫓上の太鼓の拍子(七拍)に合わせてゆったりと歌われ、五・五・七・五の歌詞が一五番残っている。現在は歌の合間に笛の間奏が入るが、これは昭和初年に復興した際に付け加わったものという。「大の阪」という名称は、歌の冒頭の「大の阪、七曲がり」という詞章に由来するが、一五番すべてに「南無西方【なむさいほう】」という文句が入り、また御詠歌調のゆっくりとした曲調であることから、別に「念仏踊」とも呼び、現在も祖先供養のための踊りであることが明確に意識されている。音頭取りは二組に分かれ、双方が詞章を交互に歌い合う掛け合い式で、一番を二分以上かけてゆったりと歌う。
踊り子の扮装は、浴衣に草履履きが基本であるが、特に厳格な決まりはなく自由な服装での参加が認められている。踊りの足の運びや手振りは、太鼓の七拍に合わせて踊る素朴なもので、昔はハスの葉を頭に乗せて踊ったといわれるほど緩やかな動きで、華やかさはないものの古風を感じさせて優美である。
以上のように大の阪は、伝統的な祖先供養の盆踊の要素を伝えるものとして貴重であり、また地域的特色も顕著である。
国指定文化財(重要文化財)佐藤家住宅(新潟県北魚沼郡守門村)新潟県魚沼市大倉1273番地1
中門造の農家(主要部は三間取広間形)。中越地方民家の代表例であるが、簡潔で規則的な構造や部材の仕上げなど建築年代の古さを示す。中間造民家の初期の遺例である。 規模は小さいが、構造は堅固。
国指定文化財(重要文化財)旧目黒家住宅(新潟県北魚沼郡守門村) 新蔵新潟県魚沼市須原890番地
目黒家は、新潟県魚沼の山間部の守門村にあり、代々庄屋をつとめた。
屋敷地と敷地内の建物の構成は、豪農の家にふさわしい規模と構えをもつとともに江戸時代以来の旧状をよくとどめており貴重である。
既に指定されている主屋、土蔵、屋敷地に、周辺の敷地と明治三十四年(一九〇一)建築の新座敷を追加指定して、屋敷構え全体の保存をはかる。