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富山県・中新川郡立山町
国指定文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)オンバサマのお召し替え富山県中新川郡立山町芦峅寺
本件は、富山県の立山山麓にある芦峅寺地区の女性たちが年に一度、「お召し替え」と称して、閻魔堂に祀られるウバ尊像の着衣を着せ替える行事である。ウバ尊像は、当地では「オンバサマ」と呼ばれ、女性の守り神、衣食の恵みをもたらす山の神として、また、亡者の衣を剥ぎ取り、その軽重で罪を量る奪衣婆としても信仰されてきた。オンバサマの着物は、地区の女性たちによって、白い木綿布で死装束として新しく仕立てられ、オンバサマ一体一体に丁寧に着せられる。
国指定文化財(登録記念物)立山砂防工事専用軌道中新川郡立山町
富山県南東部の立山山麓の常願寺川の水源部の地質は脆弱な火山堆積物で、非常に崩れやすい特徴を持っており、安政5年(1858)の大地震時は、「鳶崩れ」で知られる大規模な崩壊が立山カルデラ内で発生しており、崩壊土砂は現在も不安定な状態で蓄積し、降雨のたびに下流へ流出している。この土砂流出による被害が下流の富山平野で起こらないよう砂防堰堤や山腹緑化等を整備し、危険を未然に防ぐことが立山砂防事業の大きな目的である。
明治39年富山県事業として砂防事業を着手したが、大正11年豪雨により、砂防施設は壊滅した。大正15年からは、内務省直轄事業となった。事業は、近代砂防の父と呼ばれた赤木正雄の指導で行われ、砂防事業に不可欠な資材運搬手段として軌道が必要であるとの判断から軌道工事を推進した。軌道工事は大正15年に着手され、昭和3年に千寿ヶ原(起点)から樺平までの約12km、昭和6年に樺平から水谷(終点)まで開通し、総延長約18km、標高差642mの軌道が完成した。
途中、戦後施工の分も含めて合計42段のスイッチバックや鉄道施設としては珍しい素堀の片洞門(天鳥オ-バ-ハング)などがあり、橋梁21箇所、トンネル10箇所も有する。
立山カルデラの堆積物から富山平野を守るための国直轄砂防工事の実施にあたり、資材運搬のために造られた軌道という歴史的性格から考えて登録する。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)称名滝中新川郡立山町
立山に源を発する称名川が、弥陀ヶ原の溶結凝灰岩層をV字型に深く浸食したいわゆる称名下廊下の末端の断崖にかかっている。その落差は約350メートルで、上部から40、58、92、126メートルの4段から成り、それらが連続して1条の巨瀑となっている。立山の信仰と密接な関係をもって古くから知られて来た名瀑であり、豪壮雄大な景観は、他に類例をみない。また浸食地形としても独自の特色をもっている。
上流部の水量の多いときにはその左岸側の断崖に高さ500メートルのハンノキ滝が現出する。
わが国最大の瀑布である。