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福井県・おおい町

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))村松兵助家住宅土蔵福井県大飯郡おおい町本郷120字古川4-1

村松兵助家住宅土蔵

敷地北端に南面して建ち、西妻を街道に面する。平屋建の東土蔵と二階建の西土蔵からなり、正面に下屋を通して蔵前とする。屋根は東西棟の切妻造段違い、小屋組はトラス、内部は西土蔵が板敷、東土蔵が土間である。伝統的な商家の屋敷構えを形成している。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))村松兵助家住宅主屋福井県大飯郡おおい町本郷120字古川4-1

村松兵助家住宅主屋

旧丹後街道沿いの商家で、主屋は街道に西面して建つ。間口の広い切妻造の平屋建で、正面は出桁造として両端に袖壁を出し、全面に下屋を通す。南に土間を取る整形四間取で、北端に玄関を開いて奥に仏間と座敷を連ねる。街道の歴史的景観の核をなす大型町家。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)小浜藩台場跡
 松ヶ瀬台場跡
 鋸崎台場跡
大飯郡おおい町大島

小浜藩台場跡<BR/> 松ヶ瀬台場跡<BR/> 鋸崎台場跡

 松ヶ瀬台場跡は、若狭湾の一部である小浜湾を形成する大島半島東端に位置する小浜藩の台場跡である。
 江戸期の小浜藩の海防体制は、幕府の異国船に対する警戒体制の一環として整備された。京都の北部に位置し、京都所司代を何度も務めた酒井氏を藩主とする小浜藩としては、京都の北を守ろうとする意識の上に海防体制を強化したものと思われる。嘉永4年(1851)には、小浜藩は幕府に台場築造を届け出ており、安政元年(1854)に鋸崎・松ヶ瀬に台場を築造している。同時期に藩内の川崎・海手浦台場なども築造され、小浜藩の海防体制は整備されていった。
 大飯町による小浜藩の台場跡の現地踏査の結果、保存状態の良好な台場と確認された鋸崎・松ケ瀬の両台場については、平成6~10年度に発掘調査が実施された。そのうち松ヶ瀬台場跡については、以下のとおりである。
 松ケ瀬1号台場跡は、6基の土塁と土塁に挟まれた5ケ所の砲眼及び内側の堀状の溝と外周を取り巻く溝等によって構成されている。土塁の規模は、高さ約0.8~1.2m、長さ約6~8m、幅約7~8.5mである。堀状の溝は、排水等に利用されたものである。また、砲眼部分は、砲口幅約1m.、開口幅約3~4mの規模である。
 松ケ瀬2号台場跡は、半円形をした土塁に囲まれており、1号台場跡より海側に立地している。径約80m、土塁の幅約14m、高さ約2.2~2.4mの規模を有する。土塁の内側には、中央に半円形の砲座が1基、それを挟むように左右それぞれ2基ずつ方形の砲座が配置されている。半円形の砲座は、土塁の半円と逆の半円を呈し、径は約16mである。半円の周囲は高さ約40cmの石積みがあり、南と西に出入口を設けており、西側には石段も設けられている。砲座中央部には、帯状の幅約90cmで約30cm角の板石が敷き詰められている。また、半円で帯状の板石の円の中心となる部分から径約35cmの穴が確認された。このことからこの砲台は、回転式大砲が置かれ、板石は回転移動する軌道敷で、穴は軸穴と考えられている。なお、方形砲座は、長さ約6m、幅約5mの規模を有し、約40cmの高さの盛土で造られ、一部配石が残存している。この台場跡には、焼紅弾室跡も良好に保存されている。
 このように、2号台場跡の回転式大砲が置かれた遺構が現存していることが確認されたのは、初めてであり、かつ幕末期の異国船到来の海防のための台場が、発掘調査により、その構造とともに解明されたことは貴重である。
 なお、当調査の中であわせて実施された小浜藩の他の台場跡の所在・状況調査によっても、当遺跡が極めて良好な形で残されていることが確認されており、当時期の海防体制を見る上で貴重であり、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。
 松ヶ瀬台場跡及び鋸崎台場跡は、若狭湾の一部である小浜湾を構成する大島半島に位置する小浜藩の台場跡である。
江戸期の小浜藩の海防体制は、幕府の異国船に対する警戒体制の一環として整備され、嘉永4年(1851)には、小浜藩は幕府に台場築造を届け出ている。安政元年(1854)に松ヶ瀬及び鋸崎に台場を築造し、同時期に藩内の川崎台場、海手浦台場なども築造され、海防体制が整備されていった。
大飯町による小浜藩の台場跡の現地踏査の結果、保存状態が良好な台場跡と確認された松ヶ瀬及び鋸崎地区について、平成6年度から10年度に発掘調査が実施された。そのうち松ヶ瀬台場跡は、2箇所の台場が築かれ、2号台場跡は径約80mの半円形をした土塁に囲まれ、中央に回転式大砲を置いたとされる板石を施した半円形の砲座が配置されていた。調査による台場の解明と保存状態の良好なことから松ヶ瀬台場跡は平成13年に史跡に指定されている。
また、鋸崎台場跡では、絵図に示された1、3、4番の台場と絵図に無い無番台場跡の発掘調査を実施した。1番台場跡は、6箇所の砲眼をもち、総延長約88m、幅約4mから6m、高さ約1mから1.5mのコの字形の土塁に築かれていた。3番台場跡は幅約6m、高さ約0.6mの方形の砲座であった。無番台場跡も3番台場跡と同様の方形砲座で、4番台場跡は位置だけを確認した。また、中央部が崩落した幅約9m×8m、高さ1.8mの規模の焼紅弾室も確認された。このように酒井家文庫に所蔵されている鋸崎台場の絵図等の史料と発掘調査の成果が一致し、保存状況も良好であることが確認された。
今回、鋸崎台場跡を追加指定するとともに、「小浜藩台場跡 松ヶ瀬台場跡 鋸崎台場跡」に名称変更して、保護の万全を図ろうとするものである。