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青森県・青森市

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))青森県大平山元遺跡出土品青森県青森市本町2丁目8-14・青森県東津軽郡外ヶ浜町字蟹田大平沢辺46-4

青森県大平山元遺跡出土品

 大平山元遺跡は、津軽半島の北東部、蟹田川(かにたがわ)の左岸に立地する後期旧石器時代後半から縄文時代初頭にかけての遺跡群である。蟹田川の上流には石器石材となる珪質頁岩(けいしつけつがん)の産出地が確認されており、遺跡内でも珪質頁岩による石器製作と利用の実態がよく窺える。
 その内容には、層位や地点を違えて出土した、後期旧石器時代後半期の北海道方面や関東・中部地方との関係を示す石器群、後期旧石器時代終末から縄文時代初頭の神子柴(みこしば)・長者久保(ちょうじゃくぼ)石器群が認められる。神子柴・長者久保石器群は、大形の石斧や、そこに含まれる縄文時代的な土器片・石鏃が特徴で、当該石器群が土器出現期にあたる、重要な成果を示した。土器片は放射性炭素年代測定により、北東アジアの中でも最古級に位置付けられている。
 これらは、北東北における後期旧石器時代後半から縄文時代初頭に至るまでの石器組成・道具構成の変遷過程と石器製作技術をよく示し、縄文時代への移行の在り方を考究する上でも重要である。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧増川営林署庁舎(展示館しょうわ)青森県青森市浪岡大字女鹿沢字野尻14-134

旧増川営林署庁舎(展示館しょうわ)

元は津軽海峡に東面した営林署の洋風庁舎。平屋建、切妻造金属板葺、正面北寄りに玄関棟を張出して切妻造ポーチを備え、内部は大きな事務室。外壁は下見板張で縦長窓を並べ、妻壁は漆喰仕上に半円アーチ形窓を開けてスクラッチタイルで縁取り、意匠に凝る。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)三内丸山遺跡青森市大字三内

三内丸山遺跡

 三内丸山遺跡は、青森市の中央部を北東へ抜けて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた35haに及ぶ縄文時代前・中期の大規模遺跡である。江戸時代から知られていたが、平成4年に開始された野球場建設にともなう発掘調査が進められる中、平成6年に遺跡の重要性が判明し、保存が決定された。それに引き続き、遺跡の範囲や内容を確認する発掘調査が青森県教育委員会によって行われた。これらの調査は調査面積83,238m2に及び,本遺跡が東北北部から北海道南部における縄文時代前期半ばから中期末に及ぶ大規模で拠点的な集落であり、竪穴住居、土坑墓、埋設土器、貯蔵穴、大型掘立柱建物、盛土遺構などの各種遺構が計画的に配置されていたことが明らかにされた。また、当時の生活、生業、交流、自然環境などを示す多種多様な遺物が検出された。このことから、わが国の縄文文化の様相を雄弁に物語る遺跡として、平成9年3月に史跡に指定されるとともに、建物復元や遺構展示等による整備も図られてきた。
 指定後、青森県教育委員会により、調査面積約12,200m2に及ぶ内容確認調査が継続して行われている。平成9年度には両側に土坑墓列を配置する幅約12mの基幹道路跡が集落中央から東に約420m以上に及ぶことが確認された。また、平成10年度から12年度には集落西南で環状配石墓・配石墓・土坑墓からなる墓域と集落中央からこの墓域に向かう長さ170mの道路跡などが調査された。これらの調査の結果、集落の内容や社会組織を解明する上での重要な手がかりが得られた。また、発掘調査と並行して、出土種子の遺伝子分析、高精度年代測定、花粉分析、動・植物遺存体分析、土偶の胎土分析、黒曜石などの蛍光X線分析など、さまざまな自然科学的分析が体系的に行われている。こうした分析からは、クリやウルシが栽培されていた可能性が高いこと、集落の存続期間が5500〜4000年前前後の約1500年間に及ぶことや土器型式の時間幅の詳細、遺跡周辺の自然環境・生態系、縄文人の資源利用や交流・交易の実態など、従来の想定をはるかに超えるものが明らかにされてきた。以上のような調査や分析の結果は、毎年刊行される調査報告書や『史跡三内丸山遺跡年報』で公開されるとともに、様々な媒体を通じて、学界のみならず一般の人々の縄文文化に対する見方、考え方に大きな影響を与えている。
 このように三内丸山遺跡は代表的な縄文遺跡として、規模が極めて大きく、存続期間も非常に長い。また、豊富な内容を有し、様々な情報を発信しており、縄文文化の実態を総合的に解明する上で、欠かすことのできない極めて高い学術的な価値をもつ。よって特別史跡に指定しようとするものである。

国指定文化財(重要無形民俗文化財)津軽海峡及び周辺地域における和船製作技術津軽海峡周辺地域

津軽海峡及び周辺地域における和船製作技術

 津軽海峡及び周辺地域における和船製作技術は、津軽海峡を中心に秋田県北部、岩手県北部や北海道にかけての地域で使用されたムダマハギやシマイハギと呼ばれる木造漁船を中心とした和船製作にかかる技術である。
 ムダマハギとは船底にカツラやブナ、ヒバ、スギなどの刳り抜き材を使用し、平底である船底にタナイタをつけアバラと呼ぶ補強材をつけた独特の構造をもつ船で、その造船技術は丸木船から構造船に至る過渡的段階にあたりオモキ造りに連なるものと位置づけられている。
ムダマの製作は、掘る、まく、ムダマウチなどといい、一本の丸木から左右2枚のムダマを背中合わせに取り、その内側をチョウナなどを使って掘っていく。ムダマの接合部には落とし釘を打ち込むなどして仕上げる。そしてこれに下アバラの取り付け、トモヘのトダテの取り付け、オモテヘのミヨシの取り付けをし、最後にタナイタ、カンヌキ、トコなどを取り付け、トモやミヨシの形を整える。
(※解説は指定当時のものです)