カテゴリで見る
長野県・茅野市
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)高島藩主諏訪家墓所長野県諏訪市・茅野市
信濃国一宮諏訪大社の神職や諏訪の領主として古代以来の氏族である信濃国高島藩主の諏訪家代々の墓所である。諏訪頼水(よりみず)は,関ヶ原の戦いの際に徳川秀忠に従い信濃上田城を攻めた功で,慶長6年(1601)に諏訪の領地を与えられ初代高島藩主となった。以後,諏訪家は明治維新まで藩主を代々務めた。
頼水は寛永8年(1631)に,中世以来の諏訪氏の拠点である上原城近くに頼岳寺(らいがくじ)を開基して両親を葬り,頼水も父頼忠(よりただ)のそばに葬られた。2代忠恒(ただつね)は,慶安2年(1649)に菩提寺として温泉寺(おんせんじ)を高島城下に建立した。忠恒が江戸で没しても温泉寺に葬られるとともに,以降の藩主も江戸で死去しても温泉寺で葬られ,2代忠恒から8代忠恕(ただみち)までが葬られて明治維新を迎える。
頼岳寺の御霊屋(おたまや)は安政6年(1859)に再建されたもので,三部屋に分かれ,中央に頼水の父頼忠,右に母理昌院(りしょういん)の部屋があり,それぞれ宝篋印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔(ごりんとう)を一対とする組み合わせである。左には頼水の部屋があり,安山岩製の石廟(せきびょう)が収められる。温泉寺の墓所は,基壇を含めて高さ約3mの石製墓標が並び,特に忠恒の墓標には,戒名の刻字部分は金泥,標身(ひょうしん)の継ぎ目には漆喰が充填されている。
以上のことから,近世大名の墓所の在り方を知る上で重要である。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)駒形遺跡茅野市米沢
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)上之段石器時代遺跡茅野市北山
蓼科山麓湯川部落ノ北方ニ位スル丘陵ニアリ 廣汎ナル地域ニ跨リ石器土器、骨角器及土偶、滑車形土製耳飾等出土ス
石器ハ石鏃、石斧、石錐、石匙、石皿、石棒等豊富ニシテ土器ハ縄紋土器ノ他ニ弥生式系統ノモノアリ 縄紋土器モ亦多種ノ式ヲ含ミ極メテ長期ニ互ル定住ノ地タルコトヲ示シ此ノ地方ニ於ケル石器時代遺蹟トシテ顯著ナル例ニ属ス 区域内ヨリ曽テ自然石ノ組合セニ依ル爐阯ノ発見セラレタルコトアリ
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)尖石石器時代遺跡茅野市豊平
八ヶ嶽ノ西山麓海抜約一,〇〇〇米ノ丘陵上ニアリ 廣汎ナル地域ニ亙リテ石鏃、石斧、石錐、石匙、石皿等ノ石器竝ニ縄紋土器及土偶、滑車形土製耳飾等ノ土製品等出土ス 本遺蹟ニハ住居阯存在シ從來調査セラレシモノ約三十餘基ヲ数フ是等ノ多クハ徑約十三尺乃至二十尺ノ圓形又ハ隅丸ノ方形ノ竪穴ヲナシ表土下約二尺乃至三尺ニ床アリ 其ノ中央ニ扁平石ノ組合セニ依ル方形又ハ略ゝ■圓形ノ爐阯ヲ存シ周圍ニ柱阯アリ高原地ニ於ケル石器時代ノ聚落地ヲ示スモノトシテ著名ナリ
尚区域内ニ古クヨリ尖石ト称セラレ信仰ノ對象トナレル三角錐状ノ巨石アリ 此ノ地一帶ニ於ケル尖石ノ地名モ之ニ由来セリ
八ヶ嶽の西山麓、海抜1,000米の丘陵上にあり、広汎な地域にわたって石鏃・石斧・石錐・石匙・石皿等の石器、並に縄文土器、及び土偶・滑車形土製耳飾等の土製品等を出土している。この地域には多数の住居跡が存在し、從来約三十余基が調査されている。是等の多くは、経約十三尺乃至二十尺の円形、又は隅丸の方形をなし、表土下約二尺乃至三尺に床あり、その中央に扁平石の組合せによる方形、又はほぼ円形の炉跡を存し、柱跡がある。高原地における石器時代の聚落地を示すものとして著名であり、学術上の価値が特に深い。