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長野県・下伊那郡阿南町

国指定文化財(重要無形民俗文化財)和合の念仏踊長野県下伊那郡阿南町

和合の念仏踊

 和合の念仏踊は、毎年8月13日から16日の間、毎晩踊られる念仏踊である。14日と15日には新仏供養のために行われる。
 念仏踊は「庭入り」「念仏」「和讃【わさん】」で構成されている。
 灯籠、旗、ヒッチキ棒、ササラ、太鼓、太鼓持ち、鉦【かね】、ヤッコ、花、柳、笛の諸役が、灯籠役の「さーよーい、そーりゃ」の掛け声を合図に行列して踊りの庭へ入る。太鼓役と鉦役は膝が地面につくほど低い姿勢をとり、そこから大きく振りかぶるような所作で太鼓や鉦を叩【たた】き進む。踊りの一行が輪になると、早いテンポの笛が入り、太鼓役と鉦役は踊りながら打ち鳴らし、ヒッチキ棒役とササラ役は、互いに体を激しくぶつけ合い、飛び跳ねて踊る。ここまでの次第が「庭入り」である。続く「念仏」では、古老の唱える念仏に合わせて太鼓は静かな音を刻む。「和讃」では、太鼓役が足を揃【そろ】え、膝を屈伸させながら左右に体を振りつつ音頭取りの和讃を復唱し、一節が終わる度に太鼓を打つ。
 13日は熊野神社と宮下家で「庭入り」「念仏」「和讃」を行い、林松寺【りんしょうじ】にて「庭入り」を踊る。14日、15日は林松寺のみで行い、新仏の位牌【いはい】を集めて新仏供養として念仏踊を踊る。16日は再び3か所で踊るが「庭入り」のみとなる。
 本件は、和合地区の熊野神社、宮下家、林松寺と場所を移動しつつ、各所で踊られる太鼓を中心とした念仏踊である。新仏の位牌を寺に集め、新仏供養のためにも踊る。盆の新仏供養を主たる目的としたかけ踊に、念仏踊が結びついた形態を持つ下伊那地方にみられる盆の芸能の特色を示している。なかでも本件は、踊りの所作がより芸能的に展開しており、地域的特色や芸能の変遷の過程を示して重要である。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)

国指定文化財(重要無形民俗文化財)新野の盆踊

新野の盆踊

 新野の盆踊は、毎年八月十四日から十六日の、それぞれの夜から翌朝にかけて、地域の人びとが、三味線や太鼓などの楽器伴奏を伴わない古風な踊りを夜を徹して踊り、最後の十七日の早朝には、鉦と太鼓を打ちながら精霊を送り出す行事も行う。なお、八月二十四日は、夜から翌朝にかけて踊りだけが行われる。
 阿南町新野は、長野県南部の愛知県との県境にひらけた盆地で、この盆踊は、新野地区の本町と東町の、両側に商店が並ぶ通りを会場にしている。通りのなかほどに「音頭台」と呼ばれる四角い櫓を組み上げ、その上に、それぞれの歌を歌い出す「音頭取り」五、六名が上がる。踊り手は、音頭台を中に、通りに沿って細長い大きな輪になり、音頭取りの歌を受けて、それに続く歌詞を歌い返し踊りながら進んでいく。
 踊りは、「すくいさ」「音頭」「高い山」「おさま(おさま甚句)」「十六」「おやま」と「能登」の七種で、このうち「能登」は、十七日と二十五日の早期にだけ踊る。毎夜の踊りは、まず「すくいさ」で踊り出し、あとは「すくいさ」を含めて六種の踊りを交互に自由に変えながら繰り返し踊る。それぞれの踊りは、最初の歌の歌詞が決まっていて、踊りの名前は、その歌詞から取られている。あとに続く歌詞は、おおよそ決まっているものもあるが、地元に伝承されている数多くの歌詞を、自由に歌っていく。
 踊りの動作は、いずれもゆっくりとしたもので、右手に扇を持つものと、何も持たないものがあり、扇を持つのは「すくいさ」「音頭」「おさま」「おやま」である。また踊り手は、踊りながら進んでいくが、その方向が左回りであるのは「すくいさ」と「十六」で、あとは逆方向に進む。
 この盆踊の準備は、十三日の昼過ぎから、音頭台の組み上げや、事務所の準備、通りのなかほどにある「市神様【いちがみさま】」と呼ばれる小さな祠の清掃、また通りの西はずれに祀られている「お太子様【たいしさま】」と呼ばれる祠の清掃などから始まる。なお、音頭台は「市神様」の前に設営される。夜になると各家の門前で、盆の迎火が焚かれる。また、音頭取りなど、特に盆踊と関係の深い新盆の家があると、その家の庭などに、盆踊りの会の人びとが集まり踊る。
 十四日の昼に、お墓に親類縁者が行き、「百八【ひやくはつ】タイ」と呼ばれる多くの小さな木片を燃やす「タイとぼし」を行い先祖等を供養する。夜になると踊りに先立ち、音頭台の横の「市神様」に、盆踊りの会の役員等が集まり神事が行われ、その後、音頭台上の音頭取りの歌い出しで踊りが始まり翌朝まで続く。
 十五日も夜になると踊りが始まる。家々では夜の一二時過ぎに精霊【しようりよう】送りを行う。まず新盆の家々が、松明を先頭に、家の近くの水辺に、供物や新盆の家だけに供えられる切子灯籠などを持っていき、念仏あるいは唱【とな】え事【ごと】を行って、供物などを燃やす。新盆の精霊送りが終わったころを見計らい、各家々でも同様に精霊送りがある。
 十六日の夜になると、踊りを始める前に、新盆の家々から、残しておいた切子灯籠が持ち寄られ、音頭台の周囲に下げられて踊りが始まる。十七日の早朝を迎えると、踊りが続くなかで、切子灯籠が下ろされ、市神様の前に役員等が集まり「市神様和讃【わさん】」と呼ばれる唱え事がある。その後、それぞれの切子灯籠を棹から下げ、役員等を先頭に行列を作り、踊りの場から「お太子様」に向かい、前で「お太子様和讃」と呼ばれる唱え事があり、終わると鉄砲あるいは花火の打ち上げで合図する。なお、この和讃には「なんまいだんぼ、なんまいだんぼ」という念仏と考えられる言葉があり、行列は、鉦と太鼓を打ち、この言葉を唱えながら進んでいく。この次第は盆に精霊を迎え、後に踊りで送り出す盆踊の古い姿をうかがわせる。
 行列が踊りの場に戻るころに、踊りは「能登」に変わっているが、行列が通過したところから踊りをやめることになっていて、踊りをやめた踊り手の一部が行列の後ろに加わり、行列は徐々に長くなりながら踊りの場を通過し、東方の地区の境とされる場所へ向かう。行列の前には、一〇人ほどが互いに肩を組み小さな輪を作り、行列の進行を妨げるように騒ぐ。地元では踊りが終わるのを惜しむために進行を妨げるというが、行列の先々に、いくつも輪ができていく。
 地区の境とされる場所に着くと、切子灯籠を積み上げ、神事の後に、鉄砲あるいは花火を合図に、周囲の人びとがいっせいに大声をあげ、灯籠に火を点けて燃やす。一同は「秋唄」と呼ばれる唄を歌いながら帰路につくが、その間、後ろを振り返ってはいけないとされている。
 なお、二十四日の踊りは、地元でかくし盆あるいは「うらあ(俺・私)」の盆の踊りで気楽に踊るものという。同様に夜から明け方まで行い、締めくくりに「能登」を踊るが、関連行事はない。

国指定文化財(重要無形民俗文化財)雪祭

雪祭

 これは伊豆神社の祭りで、古くは御神事、田楽祭などとも呼ばれた。雪祭の名は、大正年間折口信夫がこの地を訪れて以来のことで、この祭が、雪を豊年の予兆とみて必ず神前に供えなければならないという民俗をもっているところからきたものという。
 芸能は内輪衆、上手(わで)衆、平(ひら)、後立(ごたつ)、市子(いちこ)などの演技者組織をもって行なわれ、十四日午後伊豆神社で、まず神楽殿の儀、がらん様の祭、本殿の儀がそれぞれ「びんざさら舞」「ろん舞」「万歳楽」などの舞をもって奉仕される。ついで庭上に大松明を立てて、それに御船渡しを行ない、その下で庭能(さいほう、もどき、翁、まつかげ、田遊びなど)が夜を徹して演じられる。これは芸能史の研究に重要な資料と暗示を提供し、斯学の発展に一大飛躍をもたらしたものである。