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長野県・下伊那郡阿智村
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)小黒川のミズナラ下伊那郡阿智村
ブナ科コナラ属に属するミズナラは、日本の冷温帯域を代表する落葉広葉樹であり、北海道南西部から九州の南部にまで分布している。
小黒川のミズナラは標高1,035メートルの山間や樹齢300年余と言い伝えられ、地元では「小黒川の大まき」として親しまれている。高さ20メートル、幹廻りは約7.25メートルに達し、樹勢も旺盛であり、十数本の太い枝が四方にひろがり、枝張りは直径三六メートルにもおよんでいる。樹皮には縦に深い皺が刻まれており、この樹種の特徴がよく表れている。本樹は、ミズナラの巨樹として昭和43年5月16日に長野県の天然記念物に指定されていたが、昭和六十三年に行われて全国調査によりわが国第一のミズナラの巨木であることが明らかになり、今回天然記念物に指定し一層の保存を図ろうとするものである。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)神坂峠遺跡下伊那郡阿智村
東西を伊那谷と木曽谷に挾まれ、南北を木曽山脈の恵那山と神坂山に挾まれた神坂峠(標高1595メートル)は、信濃と美濃の国境にあって、古くは信濃坂とも呼ばれ、美濃から信濃を経て、上野[こうづけ]・下野[しもつけ]に至る古東山道の要所であった。『日本書紀』の日本武尊の通行の記事や、『続日本紀』の大宝2年(702)の「岐蘇山道」開通の記事は、この峠と関連をもつものと考えられており、また延喜の官道(東山道)もこの峠を越えたと考えられている。
考古学的知見としては、大正10年に鳥居龍蔵氏が峠越えの踏査を試み、須恵器破片の散布を発見したのが最も古いものであるが、戦後の昭和26年には、大場磐雄博士が峠の頂上付近を発掘し、石製模造品・土師類・須恵器等の出土品を得ている。さらに昭和42年および43年には、阿智村によって調査が行われた。その結果、祭祀関係遺物は総数1,300点余に達し、また調査地区の中央西寄りの部分で、径約4メートル、高さ0.7メートルの積石塚の遺構が発見されている。
出土品の主体は、剣形・鏡形・有孔円板・刀子[とうす]形・斧形・鎌形・馬形・勾玉[まがだま]・管玉[くだだま]・棗玉[なつめだま]・臼玉等の石製模造品と、碧玉製管玉・ガラス小玉等の玉類であり、量的にこれに次ぐものとして、5世紀末から奈良・平安時代の須恵器、平安時代の緑釉[りょくゆう]陶器や灰釉[はいゆう]陶器があり、他に少数ながら、鉄製品の刀子・〓(*1)[やりがんな]・鏃[やじり]・斧等と、獣首鏡の破片、中世の陶磁器片が発見されている。これらの出土品は、この峠を越える旅人が、峠の神に長途の旅の平安を祈って、それらを幣[ぬき]として樹枝に掛け、あるいは石の上において供えたものであろう。積石塚の周辺部に特に遺物が集中するのは、この積石塚自体が、峠神祭祀における手向けの場としての役割をもつものであったことを示すのかもしれない。
神坂峠遺跡は、古墳時代の中期以降石製模造品を主体とする峠神祭祀の場となり、また、奈良・平安時代以降は、東海地方の須恵器・緑釉陶器・灰釉陶器の搬入路として、これらの陶器類を主とする峠神祭祀の場となった。全国的にも数少ないこの種の遺跡の中にあって、神坂峠遺跡は、古墳時代から古代・中世に及ぶ峠神祭祀の実態をうかがうことのできる代表的な遺跡として重要なものである。