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岐阜県・大垣市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)東町田墳墓群岐阜県大垣市

東町田墳墓群

岐阜県西南部,金生山(きんしょうざん)麓から派生する標高15~18mの段丘上に所在する,弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて築造された墳墓及び古墳。
台地南西縁辺部に,弥生時代終末期に築造された直径17.6mなど2基の円形墳丘墓が良好に遺存し,近接して同時期の一辺10m前後の方形周溝墓2基がある。古墳時代前期になると墓域は東方に移り,墳長22mなど2基の前方後方墳(前方後方形周溝墓)と一辺14mなど3基の方墳(方形周溝墓)が築造された。遺物としては,口縁部内面に人物,外面の胴部上半に切妻高床建物,シカなどの動物を描いた絵画土器や水銀朱が付着する石臼などが出土した。
本墳墓群は,方形周溝墓が一般的であった弥生時代終末期において円形墳丘墓を採用し,その後,前方後方墳(前方後方形周溝墓)と方墳(方形周溝墓)が築造される段階を経て,前方後円墳が安定的に築造されるという,古墳成立期の東海地域の状況を良好に示しているという点で重要である。また,線刻絵画土器,水銀朱に関係した遺物は,当時の人々の精神世界や葬送儀礼の在り方を知る上でも重要である。
今回,9基の墳墓及び古墳のうち4基を指定する。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)西高木家陣屋跡岐阜県大垣市

西高木家陣屋跡

西高木家陣屋跡は旗本西高木家の陣屋跡で,揖斐川(いびがわ)の支流(しりゅう)牧田(まきた)川が形成した河岸段丘上に位置する。高木家は江戸時代を通じて同地を支配し,宗家である西家と,北家・東家の三家からなり,「交代(こうたい)寄合(よりあい)美濃(みの)衆(しゅう)」として大名と同等の格式を許されていた。同家の担った重要な役割に川通(かわどおり)御用の役儀があり,木曽三川の治水行政にあたった。西高木家の陣屋は伊勢街道に東面し,その街道側の段丘崖を中心に石垣が構築され,埋門(うずみもん)も整備された。北側に上屋敷,南に下屋敷が構えられ,上屋敷西側に墓所を営んだ。屋敷絵図と古文書の調査から,天保3年(1832)に陣屋の大部分の建物が焼失し,その後,建物の主軸を大きく変えて,陣屋が再建されたことが判明し,発掘調査によっても地下遺構が良好に遺存していることが確認されている。近代以降,西高木家の敷地は上屋敷を中心に徐々に縮小し,明治年間建造の主屋と嘉永5年(1852)建造の下屋敷御門を移築した長屋門,土蔵(解体し,部材を保管)が残っている。さらに高木三家に伝来した古文書群は10万点にも及ぶ。西高木家陣屋跡は交代寄合美濃衆としての役儀を担った旗本西高木家の陣屋跡として石垣等の遺構が良好に残り,かつ膨大な高木家文書の伝来によって近世における旗本領主の実態を明らかとする遺跡として極めて重要である。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))三輪酒造南蔵岐阜県大垣市南切石町1-45-1

三輪酒造南蔵

敷地南端、小路に面する。東西棟で、棟高や梁間等が異なる三部分に分かれる。総桁行三三メートル梁間最大一四メートル、土蔵造三階建で、西端部のみ二階建。切妻造桟瓦葺とし、川石を積み上げた基礎上、鉢巻まで高く下見板を張り、重厚な街路景観をつくる。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))三輪酒造北蔵岐阜県大垣市南切石町1-45-1

三輪酒造北蔵

運河を埋め立てた街路の南に占める敷地の中央南寄りに位置する。桁行二二メートル梁間一四メートル、南北棟の切妻造桟瓦葺の西側に、梁間四・六メートルの招屋根を付ける。土蔵造二階建で、外壁は下見板張、内壁は漆喰仕上げとする。大規模な醸造蔵の一例。