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岐阜県・多治見市

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))岐阜県元屋敷陶器窯跡出土陶器岐阜県土岐市泉町久尻1263・岐阜県関市小屋名1989

岐阜県元屋敷陶器窯跡出土陶器

本件は、元屋敷(もとやしき)陶器窯跡から出土した安土桃山時代から江戸時代の出土陶器の一括である。当窯跡は、岐阜県土岐市(ときし)泉町(いずみちよう)久尻(くじり)に所在する古窯跡群である。
 昭和五年(一九三〇年)、荒川豊蔵(あらかわとよぞう)よる牟田洞(むたぼら)窯跡の発見を契機として、美濃地域の各地で古窯跡の調査が実施され、安土桃山時代から江戸時代に黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部といった桃山茶陶が、これらの古窯で焼成されていたことが明らかになった。本件は、この動向を踏まえ、昭和六年(一九三一年)に岐阜県多治見(たじみ)工業学校(当時)が調査した、元屋敷陶器窯跡からの出土品一括である。
 これらは元屋敷窯で焼成された織部黒・黒織部・志野織部・青織部・総織部・赤織部・鳴海織部・美濃唐津・美濃伊賀に分類される各種織部を中心に、元屋敷窯の操業以前の大窯(元屋敷東一号~三号窯)で焼成された黄瀬戸や志野を含む多様な内容で構成され、各個体の遺存状態も概して良い。
 現在陶芸史上で高く評価されている伝世品のなかにも、この窯で生産された数多くの優品を見ることができる。
 これらは、わが国の窯業史上で大きな転換期と評価されている安土桃山時代から江戸時代にかけての、美濃窯における陶器生産を考えるうえで貴重な内容を持ち、その学術的価値は高い。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)永保寺庭園多治見市虎渓山町

永保寺庭園

S43-6-093[[永保寺]えいほうじ]庭園.txt: 永保寺の仏殿にあたる中心建築観音堂(水月場と称する)の南面にひろがる池を主体とした庭園であって、正和3年(1314)無窓疎石が開創のあと、観音堂(古くは観音閣)の建立に伴う寺域の整備に際して築造されたものと認められる。
 観音堂の西に接してそばたつ岩山(梵音巌)から岩壁づたいに瀑をかけ、その真下に地形に応じて池を設け、2島を置く。堂の正面、その中軸線上に虹形の亭橋(無際橋と名づけられる)を架け、池を二分する。これらの境域は、その北と西とを長瀬山の丘陵に囲まれ、東と南とは土岐川の曲流に接しており、それ自体景観のすぐれた自然地形をもっている。西の山腹にある座禅石の地点からは庭園一帯の風光を[[一眸]いちぼう]のうちに[[俯瞰]ふかん]することができる。
 夢窓国師年譜にも「山水ノ景物ハ天図画ヲ開クノ幽致ナリ師ノ意甚ダ適ス」と記されている。これは、疎石の実甥で幼年のとき疎石をこの虎溪山の地に訪ねたことのある春屋妙葩(普明国師)の記述したものであり、疎石がこの景勝地を愛して庵居した事実を裏書きしているが、現在もその通りの境致を残している。
 石組や護岸などの作庭細部の技法には見るべきものはないし、また後世の改変の跡も認められはするが、わが国中世庭園文化史のうえで最も代表的な作庭家夢窓疎石の作風をよく伝えるものであり、特に当時の建物(国宝観音堂ならびに開山堂)とあわせ残されているものは当永保寺のみである。
 自然美を尊重し、これを利用して作られた室町時代禅宗寺院の庭園の代表的なものである。

国指定文化財(国宝)永保寺観音堂岐阜県多治見市虎渓山町

永保寺観音堂

永保寺観音堂 一棟

永保寺は濃尾平野東北の丘陵地を流れる土岐川に面した臨済宗の寺である。正和2年(1313)に夢窓疎石(1275-1351)が現地を「山水の景物、天開図画の幽致なり」と賞して古𧮾庵を営み、翌年に観音閣を建てた。これが当寺の草創だが、夢窓は同門の元翁本元(1281-1332)に古𧮾寺をゆずり、元翁が開山となった。境内は東に土岐川の蛇行部を望み、西に岩山の崖を背負い、南に大地に面し、その前方に橋亭をもつ無際橋がかけられている。この周囲の自然景観と庭園を総合化した環境美は、中世の禅宗寺院で境致として重んじられたもので、永保寺はその代表例の一つである。
『夢窓年譜』に正和3年(1314)の観音閣建立がみえるが、現在の観音堂は様式上より南北朝期に下っての建立であろう。方三間の主屋に裳階をつけ、檜皮葺入母屋造の屋根をあげた中形禅宗仏殿で、庭園と調和した瀟洒な意匠になる。すなわち、本格的な禅宗様仏殿と異なって低い床を設け、軒をあっさりした板軒とし、組物は柱上だけに出組をあげて詰組とせず、禅宗様を簡略化しながら前面を吹放して外観に深い陰影をあたえている。内部は来迎壁を主屋後面中央間に設けて禅宗様仏壇をおき、岩窟内の観音坐像を安置する。主屋上部は一面に鏡天井を張り、裳階では海老虹梁をみせるが、前面吹放しではこれを略し、手挟で飾っている。これらの簡略化による意匠は日本化の表れとして重視される。

【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)

国指定文化財(国宝)永保寺開山堂岐阜県多治見市虎渓山町

永保寺開山堂

永保寺開山堂 一棟

永保寺の池の西の奥まったところにあり、永保寺の開山、元翁本元(1281-1332)をまつる堂である。禅宗寺院開山堂の典型で、礼堂にあたる外陣の昭堂と、開山の墓塔および頂相を安置する内陣の祀堂を、両下造化粧屋根裏の相の間で複合した形式になり、外観上の高低差の処理、昭堂と相の間を一連にした内部の構成がみごとである。様式からみると祀堂のほうがやや古いと思われ、江戸時代の『住持歴代』に開山塔を貞和3年(1347)の建立とするのは祀堂に相当すると考えられ、昭堂は南北朝時代の作であろう。
祀堂部分は高い壇上に建つ方一間裳階付の形式で、組物を三斗、裳階を板軒にして簡素な禅宗様式を示し、内部の後方に墓塔の宝篋印塔一基、中央に元翁本元と夢窓疎石(1275-1351)の頂相を安置し、主屋上部を鏡天井とする。
方三間入母屋造の昭堂は本格的な禅宗様意匠を示し、詰組三手先組物を組み、軒を二軒の扇垂木とし、扉や窓には花狭間を用いる。昭堂の内部は相の間境に虹梁状の頭貫を用いて柱を省き、また、梁行一杯に虹梁をかけわたして内部に柱を立てず、相の間と一体の内部を構成する。昭堂上部は虹梁大瓶束架構で中央方一間部分の詰組二手先組物と鏡天井をうけ、また側回り組物から尾垂木尻が持送られる。両下造化粧屋根裏の相の間は両脇に腰掛を設け、正面の中央扉口と脇壇の構成も端正である。当堂は変化ある複合建築として内外構成の妙を発揮した禅宗様の優作である。

【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)