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岐阜県・恵那市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧飯地公民館(五毛座)岐阜県恵那市飯地町字中下185-1

旧飯地公民館(五毛座)

南と西に接道し、南面して建つ。木造2階一部地下1階建、建築面積427㎡ 。南北棟の半切妻造桟瓦葺。正面は下見板張で、中央に寄棟屋根を付け入口ポーチとする。内部は花道を備えた舞台や、客席の平土間や桟敷席を設け、地芝居小屋として親しまれている。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)正家廃寺跡恵那市長島町

正家廃寺跡

 岐阜県東部,恵那盆地南縁の丘陵先端の平坦面上に立地する奈良・平安時代の寺院跡である。地元では古くから基壇の高まりが知られており,古代寺院が所在することが知られていた。昭和52年度から54年度まで恵那市教育委員会の委託により南山大学が,平成5年度から11年度まで市教育委員会が,それぞれ発掘調査を行った結果,伽藍配置や寺域などの概要が把握された。
 遺構は大きく2時期に分けられる。前半期は掘立柱建物の回廊で主要堂塔を囲み,後半期は回廊にかわって築地となる。西に塔,東に金堂が並び,その北に講堂を配する,法隆寺式の主要堂塔の配置は一貫して変わらない。寺院の創建は出土土器からみて8世紀前半から中葉である。後半期への変化は8世紀末ころと考えられ,9世紀後半に火災を受けて衰退し,10世紀前半ころに完全に廃絶する。塔・金堂・講堂の基壇は乱石積みで,上面の礎石の保存状況は比較的良好である。瓦がまったく出土しておらず屋根は瓦葺きではない。金堂の建物は桁行3間,梁間2間の身舎に4面の廂がつく。廂の柱は身舎に対して放射状に配置されるという特異なものである。このような柱配置の建物は現存する建築遺構にも発掘遺構にもみられず,飛鳥時代の玉虫厨子に類例があるにすぎない。講堂の西側には経蔵の可能性がある1間四方の小型の基壇建物が配置される。後半期には主要堂塔を囲む築地区画の東側にもう一つの区画が並置されている。東西二つの区画は規模がほぼ同じであり,南辺は位置を揃えて一直線となる。東側の区画内には掘立柱建物1棟と竪穴住居2棟が確認されており,鉄滓,フイゴ羽口の出土から鍛冶工房が推定され,寺院の造営や維持管理等の施設と考えられる。区画の外側にも2棟の竪穴住居がある。
 出土遺物には,多数の須恵器のほかに三彩の短頸壺,二彩の浄瓶,鉄製の風鐸など注目されるものもみられる。仏具と考えられる瓶類や鉢・椀類や鉄釘もかなりある。
 当廃寺跡が所在する美濃東部の地域は,後期・終末期古墳や8世紀初頭までの初期寺院跡がみられず,有力な在地勢力の存在は明確ではない。この地域は東国への幹線となる古代の東山道沿いにあり,『続日本紀』にみえる8世紀初頭の東山道吉蘇路の整備や,同じ頃に推定される恵奈郡の成立といった,律令体制の確立・整備にともなってこの寺院が成立したとも考えられる。当廃寺跡はこのように主要伽藍の遺存状況が良好で豊富な出土遺物があり,東海地方を代表する古代寺院であるとともに,金堂は特異な様式であり建築史上も貴重である。よって史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)ヒトツバタゴ自生地犬山市字西洞、瑞浪市、恵那市、中津川市

ヒトツバタゴ自生地

天然紀念物調査報告(植物之部)第五輯 一六七頁 參照
天然紀念物解説 二三四頁
ひとつばたご Chionanthus retusus Lindl. et Paxt. ハ朝鮮及支那ニ産スル木犀科ノ樹木ナリ本自生地ハ文化ノ頃水谷豊文伊藤圭介ノ一行ニヨリテ發見セラレタルモノニシテ其後不明ニ屬セルガ大正十一年波磨實太郎氏ノ調査ニ依リ再見出サル■ニ至レリ本自生地ニハ同樹約十六株アリ
天然紀念物調査報告(植物之部)第三輯 一〇四頁 参照
天然紀念物解説 二三四頁
ひとつばたご Chionanthus retusus Lindl. et Paxt. ノ本州ニ於ケル自生地ノ一ニシテ、愛知縣ニノ宮ノ自生地ト共ニ同樹ノ分布上著シキモノナリ

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)傘岩恵那市大井町

傘岩

木曽川ノ名勝區トシテ知ラルヽ惠那峽ノ左岸ヲ成セル花崗岩ノ臺地性丘陵ノ上ニアリ該丘陵ヲナセル粗粒ノ黒雲母花崗岩ガ風化風蝕及雨蝕トニヨリ削剥セラレタル丘陵ノ上ニ松蕈ノ如キ形ヲナシテ殘存セル奇形ノ風化殘塊ナリ頭部ノ周囲一〇.二メートル最狹部ノ周囲二.三メートル基部ノ周囲五.一メートルニシテ高サ五.五メートルヲ算ス
初メ花崗岩ノ節理ニ囲マレタル圓柱状ノ風化殘部ガ風蝕ノ為ニ其ノ基部ニ近キ部分ヲ削リ取ラレテ斯カル奇形ヲ呈スルニ至リタルモノニシテ風化風蝕及雨蝕ノ進行状態ヲ示セル天然標本トシテ極メテ珍ラシキモノナリ