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岐阜県・土岐市
国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))岐阜県元屋敷陶器窯跡出土品岐阜県土岐市土岐津町土岐口2121-1
本件は、元屋敷陶器窯跡から出土した安土桃山時代から江戸時代の出土品のうち、昭和二十四年の美濃陶祖奉賛会と、平成五~十三年(一九九三~二〇〇一年)にかけて、土岐市教育委員会が行った発掘調査の出土品、二千四十一点で構成される。
当窯跡は、元屋敷東一、二、三号窯跡と、美濃窯最古の連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)である元屋敷窯跡の合計四基の窯跡で構成され、昭和四十二年(一九六七年)、「元屋敷陶器窯跡」として国史跡に指定されている。
本件は、これらの遺構や物原(ものばら)から出土した、安土桃山時代から江戸時代にかけての陶器の焼成不良品を主体とし、これに匣鉢(さや)や円錐ピン、焼台(やきだい)などの窯道具や窯材が加わる。
元屋敷陶器窯跡での陶器生産は、十六世紀後半の築窯当初は、従来からの天目茶碗・皿などを主体とした組成であった。そして、十六世紀末に茶陶や食器のなかで黄瀬戸(きせと)・瀬戸黒(せとぐろ)といった新しい意匠をもつ陶器生産が始まる。さらに志野が生産されるようになると、十七世紀初頭には茶陶や高級食器の量産がはじまり、連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)の導入後には器形・文様・色彩など、多彩な意匠を見せる織部(おりべ)が本格的かつ多量に生産された。ここで生産された志野・織部は、京・大坂・堺といった畿内の都市遺跡を中心に、全国の城館跡や城下町からも出土していて、美濃窯製品の広域流通とともに、畿内で確立された茶の湯における道具の流行や嗜好の一端もよく示す。
本件は、安土桃山時代から江戸時代にかけての美濃窯における陶器生産、とりわけ当時流行した茶陶や高級食器の生産のあり方を示す良好な資料であり、その学術的価値は極めて高い。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)元屋敷陶器窯跡土岐市泉町
S43-01-014[[元屋敷陶器窯跡]もとやしきとうきかまあと].txt: 土岐市街地の北方、泉町[[久尻]くじり]の谷川に面した急斜面に位置する古窯である。窯の構造は[[連房]れんぼう]式[[登窯]のぼりがま]で、燃焼室に続いて奥行の短い矩形の[[焼成]しょうせい]室が階段状に14房連続し、全長24メートルを越す。各焼成室の間は障壁と6、7個の〓(*1)の引孔とが設けられ、焼成室の入口は左右さまざまで一定していない。現在、天井部は崩落している。この古窯は、唐津焼の系統をひくもので、美濃における安土桃山時代末〜江戸時代初期の窯跡として著名である。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)白山神社のハナノキおよびヒトツバタゴ土岐市泉町大富
はなのきは根元周囲7.15メートル、目通幹囲4.2メートル、樹高約12メートル、はなのきの巨樹として稀有のものなり又ひとつばたごは根元周囲1.57メートル、目通幹囲1.5メートル、ひとつばたごの巨樹の一なり。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)乙塚古墳
附 段尻巻古墳土岐市泉町久尻
西北ヨリ東南ニ向ツテ突出セル臺地上ニ築造セラレタル圓型墳ナリ直徑約九十六尺高約二十七尺南面ニ石槨ノ孔口ヲ露出セリ石槨ハ羨道玄室ノ二ニ分レ羨道入口高約八尺五寸幅約八尺四寸東壁ノ長約二十二尺、西壁ノ長約十九尺五寸、玄室ノ高約八尺幅中央ニテ約八尺七寸奥壁ニテ約六尺五寸、東壁長十七尺西壁長約十六尺二寸アリ全部花崗岩ノ切石ヲ以テ築キ天井石ハ玄室三枚羨道四枚ヨリ成レリ其ノ大ナルモノハ幅七尺長約八尺ニ逹ス側壁ノ石材中最大ナルモノハ長約八尺幅約四尺アリ石材ハ孰レモ大形ノモノヲ用ヒ隙間ニハ小石ヲ充填セリ 規模大ナラザルモ構造見ルニ足ルモノアリ
乙塚ノ西北二十間ニ當リ高約十二尺徑約四十二尺ノ圓型墳アリ南及西側ノ封土ノ一部鑿取セラレタルモ尚墳型ヲ見ルニ足ル南面ニ石槨ノ孔口ヲ露出セリ槨ノ構造ハ乙塚古墳ト同一ニシテ羨道玄室ノ二ヨリ成レリ其ノ總長約二十一尺アリテ規模總テ乙塚ヨリ小ナリ