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岐阜県・不破郡垂井町

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))小林家住宅主屋岐阜県不破郡垂井町字屋敷1268-1

小林家住宅主屋

中山道垂井宿に北面して建つ町家で、木造平屋一部二階建、切妻造桟瓦葺とし、正面に下屋を設ける。正面東側を戸口として土間を通し、西側に格子をたてる。二階正面は黒漆喰塗で虫籠窓を二所穿ち、袖うだつをあげる。中山道の宿場の面影を伝える近世の町家。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)美濃国府跡不破郡垂井町

美濃国府跡

濃尾平野の西端に位置する古代美濃国の国府跡。国府の所在地については長らく不明であったが、垂井町教育委員会による発掘調査で判明した。国庁の遺構についてはⅠ期からⅢ期の変遷があり、桁行5間、梁行2間と推定される身舎に四面廂が巡る正殿を中心に、東西に脇殿を配する。これらは掘立柱建物から礎石建物へと建替えがあり、他には北、東、南面の区画塀、あるいは政庁跡南にのびる南北道路の側溝、幢竿状施設、政庁の東に広がる官衙施設等を検出している。
政庁東には、周囲を溝で区画し、規模は国庁とほぼ同規模と推定できる東方官衙地区と呼称している区域がある。内部には掘立柱建物跡や南北溝跡などがあり、美濃国府が機能していた時期の遺物が多く出土するなど、美濃国府の実務機能を担った官衙施設が建ち並んでいたと推定される。
美濃国府跡は主要な施設の配置関係がほぼ判明し、遺構の残存状況も良好である。国府の存続時期は8世紀の中頃から10世紀中頃であり、国府の造営と変遷の実態を良く示すとともに、古代美濃国の政治情勢を知る上でも重要である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)垂井一里塚不破郡垂井町

垂井一里塚

垂井町ノ西約九町ニ在リ中仙道ニ沿ヘル一里塚ノ一ニシテ今其南塚ヲ存ス塚ノ徑約六十九尺塚上ニ松樹数株繁茂セリ

国指定文化財(重要無形民俗文化財)南宮の神事芸能

南宮の神事芸能

 南宮神社の五月四日・五日の祭礼に演じられる芸能で、御田植神事、蛇山【じややま】神事、還幸舞(羯【かつ】鼓舞、脱下【ぬぎさげ】舞、竜子【りゆうし】舞)などがある。御田植神事は、鍬役、杁【えぶり】役の少年と、三歳から五歳までの早乙女【さおとめ】二十一名が、境内に設けられた御田代【みとしろ】に集まり、囃子と田植歌に合わせて田植の所作を演じる。蛇山神事は、市場野の祭礼場に大きな蛇山と称する櫓を組み、降神を受けた蛇頭を本社より運び出して蛇山の上に置き、これを囃子に合わせて操る。古風で素朴なからくりである。還幸舞は渡御還幸の途中、蛇山に連接した屋台の上で演じられる。羯鼓を胸につけた男児二人による羯鼓舞、男児二人による脱下舞(有難舞ともいう)、竜頭【たつがしら】をかぶり、鱗形の衣裳にたっつけを着けた男児四人による竜子舞の三種の舞がある。また、お旅所では舞楽の胡蝶の舞も演じられる。
 祭に伴う奉納芸能として、きわめて古風な舞を伝承しており、芸能史的にみて重要な価値を有している。