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静岡県・島田市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧桜井家住宅主屋(島田市博物館分館)静岡県島田市河原二丁目4257-18

旧桜井家住宅主屋(島田市博物館分館)

島田市の中心部に位置する。平屋建一部二階建寄棟造桟瓦葺。通りから引いて建ち、玄関からの土間沿いに二列七室を配した農家風平面の主体部に、さらに上手に二階建、手前に平屋建の座敷棟を接続する。豪壮な邸宅として庭木等とともに良好な景観を形成する。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)島田宿大井川川越遺跡島田市河原町

島田宿大井川川越遺跡

S41-6-064島田宿大井川川越遺跡.txt: 箱根八里と並び称される大井川の川越は、わが国交通史上特異なものとして人口に[[膾炙]かいしゃ]している。[[川会所]かわかいしょ](川庄屋が詰めて徒渉事務を扱い旅人が川越の札を買った所)の建物は、現在大井川のやや上流、国道沿いに移されているが、用途に即した構造をよくとどめている。旧東海道沿いには川会所の跡地をはじめ、川越に伴う諸施設、たとえば川越人夫が札と現金を引き換えた[[札場]ふだば]や一番[[宿]やど]から十番宿に至る[[人足溜場]にんそくたまりば]などの遺構が街道をはさんで連なっている。

平成26年3月 追加指定・一部解除
 島田(しまだ)宿(しゅく)大井川(おおいがわ)川越(かわごし)遺跡(いせき)は大井川の川越に係わる遺跡である。箱根八里と並び称された大井川の川越は我が国の交通史上重要なもので、大井川のやや上流に移されていた川(かわ)会所(かいしょ)の建物や、旧東海道沿いに存在する川会所の跡地をはじめ、札場や一番宿から十番宿に至る人足(にんそく)溜場(たまりば)などの川越に伴う遺構が街道をはさんで連なっていることから、街道を含むそれらの範囲が昭和41年に史跡に指定された。
 その後、島田市教育委員会により、昭和45年には川会所の移築復元がなされ、昭和57年までに札場や仲間の宿、二番宿等の諸施設の復元が実施され、保存・活用が図られてきた。また、街道の整備や個人住宅改築に伴って島田市教育委員会により発掘調査が実施されてきた。
 島田市教育委員会が史跡のさらなる保存・活用を図るため、文化年間作成の『東海道分間(とうかいどうぶんけん)延絵図(のべえず)』や明治17年作成の公図等と現地との照合を行ったところ、稲荷(いなり)神社(じんじゃ)や大堤、並木敷き等の存在を確認することができた。稲荷神社は、宝暦10年(1760)に川越人足が提唱し、水難防除のため奉斎したとされる八重枠(やえわく)稲荷神社で、大井川の堤防とともに『東海道分間延絵図』に記載され、川越遺跡の一部とみなすことができる。並木敷きについても土地の区画として確認することができる箇所があり、さらに二番宿(昭和47年復元)や三番宿(昭和48年復元)、荷縄屋跡の保全のため隣地を追加指定し、保護の万全を期すものである。
 なお、昭和41年の指定時には、川会所は江戸時代の位置より北西約900mの場所に移されており、その敷地が指定されていたが、その後街道沿いに移築・復元されており、今後も史跡として保全する意味は喪失している。よって、その箇所について指定を解除するものである。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧片岡醸造所酒蔵静岡県島田市横岡新田字新宿193

旧片岡醸造所酒蔵

大井川右岸の敷地後方に東西棟で建ち、土蔵造二階建、桁行二八メートル梁間一五メートル、寄棟造桟瓦葺である。外壁は漆喰塗で各階の上部に窓を並べる。主構造は側柱と三本の丸太の独立柱で構成し、広大な内部空間をつくる。造酒屋の盛期を伝える大型土蔵。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)諏訪原城跡島田市

諏訪原城跡

S50-5-115諏訪原城跡.txt: 城跡は大井川右岸の牧ノ原台地北部、標高200メートル前後のところにあり、戦国期には東海道が菊川から牧ノ原に上る地点を扼す戦略上の要地であった。ここに初めて築城したのは武田信玄で、永禄12年(1569)甲斐から駿河に入り、さらに遠江をうかがう橋頭堡として築いたものである。信玄の後を継いだ勝頼が、天正元年(1572)ここに大規模な修築を加えたが、徳川方の反撃も早く、天正3年には落城し、その後はかえって、高天神城攻略の基地となった。
 現在でも『甲陽軍鑑』に見える郭や丸馬出し及び堀、土塁がよく遺存しており、橋頭堡の城砦としての秀れた築城術をうかがい知ることができる。