文化遺産オンライン

カテゴリで見る

愛知県・豊橋市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)葦毛湿原愛知県豊橋市

葦毛湿原

国内最大級の湧水(ゆうすい)湿地(しっち)であり、東海地方に
固有・準固有あるいは隔離分布する東海(とうかい)丘陵(きゅうりょう)要素(ようそ)植物の主要な生育地。氷期の遺存種である寒地(かんち)系(けい)植物、熱帯アジアに分布の中心がある
暖地(だんち)系(けい)植物、大陸系遺存(たいりくけいいぞん)植物が混在して生育する特徴を有し、生態学的、植物地理学的に価値が高い。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)馬越長火塚古墳群愛知県豊橋市

馬越長火塚古墳群

愛知県の南東部,豊川(とよがわ)東側の段丘上に所在する馬越長火塚古墳(まごしながひづかこふん),大塚南古墳(おおつかみなみこふん),口明塚南古墳(くちあけづかみなみこふん)からなる古墳群である。馬越長火塚古墳は6世紀末葉の墳長70mの前方後円墳である。後円部には横穴式石室が開口し,全長は17.5m以上で,石室からは高度な技術で作られた鉄地金銅装(てつじこんどうそう)の棘葉形杏葉(きょくようがたぎょうよう)などの馬具,ガラス製トンボ玉などの装身具等が出土した。大塚南古墳は直径19m,口明塚南古墳は直径23mの円墳で,出土した馬具等から前者が7世紀初頭,後者が7世紀前葉に築かれたことが判明している。
馬越長火塚古墳群は6世紀末葉から7世紀前葉まで築造された古墳群で,文献で「穂国(ほのくに)」とされる地域に所在する。馬越長火塚古墳は,同時期において東海屈指の規模を有する前方後円墳で,被葬者は出土した金銅装馬具から大和王権とのかかわりが考えられる。同様の馬具は大塚南古墳と口明塚南古墳でも出土しており,規模は著しく小型化するも大和政権との関わりは継続していたと考えられる。
本古墳群は東海地方の古墳時代後期から終末期にかけて,3世代にわたる首長墓系譜の変遷を追うことができる事例として重要である。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))豊橋市民俗資料収蔵室西棟(旧多米小学校西校舎)愛知県豊橋市多米町字滝ノ谷34-1-1

豊橋市民俗資料収蔵室西棟(旧多米小学校西校舎)

本棟の西側に校庭を囲むようにして、南北棟で建つ。桁行三四メートル、梁間九メートルで、北端間を土間とし、西側に廊下を通す。各室東面に出窓を設けて採光に工夫する。室内天井に塗装を施すなど、本棟と比較して、洋風意匠を意識し、地域の教育史を物語る。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))豊橋市民俗資料収蔵室本棟(旧多米小学校本校舎)愛知県豊橋市多米町字滝ノ谷34-1-1

豊橋市民俗資料収蔵室本棟(旧多米小学校本校舎)

多米街道沿いに校地を構える。本棟は、桁行六二メートル、梁間一〇メートルの平屋建校舎で、北に廊下を通す。当時の学校建築に標準とされた方杖が用いられており、内観の特徴となる。西棟とともに市内に唯一残る木造校舎群で、歴史的な景観に寄与している。