文化遺産オンライン

カテゴリで見る

京都府・京丹後市

国指定文化財(重要文化財)経ケ岬灯台 旧第一物置京都府京丹後市丹後町袖志小字経ケ岬

経ケ岬灯台 旧第一物置

京都府の日本海側最北端、若狭湾を東に臨む経ケ岬に位置する洋式灯台。明治31年の建設で、設計監理は逓信省航路標識管理所による。高さは13.7m。日清戦争後の海運助成の拡大により、明治後期から灯台建設が進捗した、日本海沿岸に建つ第一等レンズを備えた灯台。近畿地方における、日本海側航路の安全・発展に寄与した。重いレンズを水銀で浮かせて回転を容易にする水銀槽式回転装置導入の嚆矢であり、これによりレンズの光力増大と閃光方式の多様化が可能になった。

国指定文化財(重要文化財)経ケ岬灯台 灯台京都府京丹後市丹後町袖志小字経ケ岬

経ケ岬灯台 灯台

京都府の日本海側最北端、若狭湾を東に臨む経ケ岬に位置する洋式灯台。明治31年の建設で、設計監理は逓信省航路標識管理所による。高さは13.7m。日清戦争後の海運助成の拡大により、明治後期から灯台建設が進捗した、日本海沿岸に建つ第一等レンズを備えた灯台。近畿地方における、日本海側航路の安全・発展に寄与した。重いレンズを水銀で浮かせて回転を容易にする水銀槽式回転装置導入の嚆矢であり、これによりレンズの光力増大と閃光方式の多様化が可能になった。

国指定文化財(登録有形民俗文化財)丹後半島の漁撈用具宮津市国分天王山611-1

丹後半島の漁撈用具

本件は,丹後地方の沿岸部で行われてきた漁撈に関する用具類を収集したものである。沿岸部を地形的に大別すると,西部の日本海に突き出た半島部と東部のリアス式海岸の内湾部とに分けられるが,漁業の特徴としては,前者では荒磯の岩礁を漁場とする磯漁が,後者では沈降海岸が形成した漁場をめぐる定置網漁が顕著である。特に,内湾部では暖流の分流が湾内を還流していることから,ブリをはじめとする多くの回遊魚がもたらされている。
丹後半島の漁撈用具は,こうした自然環境を背景とした,磯漁用具・網漁用具・釣漁用具・陥穽漁用具など,漁撈に直接用いた用具に加え,それらを製作修理する用具,獲れた魚を加工販売する用具,漁船及び船大工用具などからなる。特に,トモブト,マルコと称する木造の漁船は,刳舟(丸木舟)の製作技術からの発展形態とされるオモキ造りによるもので,日本海側に特有な造船技術の在り方や地域性をよく伝えている。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)琴引浜京丹後市

琴引浜

琴引浜は京都府の丹後半島北西岸の京丹後市網野町にある。北西方向に日本海に開いた砂浜海岸で,浜の背後には標高50mほどの古砂丘が連なる。琴引浜は,古来鳴砂の浜として知られ、戦国時代の武将で丹後の田辺城主であった細川幽斎や、細川ガラシャが和歌に詠んでいる。また、江戸時代の奇石を記載した『雲根誌』や丹後の地誌『丹哥府誌』などにも記録があるほか、与謝野寛・晶子夫妻もこの地を訪れ和歌を残している。琴引浜は中心部の岩礁が露出する太鼓浜を境として、東部と西部(狭義の琴引浜)の3つに分かれ,海岸線総延長は約1.8kmある。琴引浜の砂粒は,全国の鳴砂の浜と比較しても粒がよく揃った丸みのある形状が特徴である。琴引浜の鳴砂の供給源は、マクロ的には古砂丘から海域に流れ出した砂と掛津川を通じて流れ込んだ砂の両方と考えられる。琴引浜前面の海底の砂を見ると,水深20mより深いところでは、石英以外の岩片や貝殻片とシルト分が少しずつ増加し、砂粒も角張ってくる傾向があるが,浜に近い水深10m以浅の砂は円磨された石英砂よりなり、波浪によりよく洗浄された状態であり,この砂が鳴砂の浜としての琴引浜を支えているものと思われる。こうした鳴砂の浜が,海域や背後の砂丘とともに,良好な状態で維持されてきたことは,地元住民による地道な活動によるところが大きい。鳴砂の浜としてまた砂浜海岸の典型として,さらには海浜の景勝地としても貴重である。