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大阪府・羽曳野市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)観音塚古墳羽曳野市飛鳥

観音塚古墳

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)誉田白鳥埴輪製作遺跡羽曳野市白鳥

誉田白鳥埴輪製作遺跡

S46-12-007誉田白鳥埴輪製作遺跡.txt: 大阪府下の古市古墳群は全国でも屈指の大古墳群であるが、埴輪窯を中心としたこの遺跡は、そのなかに立地し、その製品がこの大古墳群の造営に使用されたと推定できるものである。これまでに10基の登り窯と工房跡と推定される掘立柱柱穴が検出されている。遺物としては、円筒埴輪片が大半をしめるが、人物・きぬがさ・盾・武具等の形象埴輪片もある。天皇陵と伝えられる大古墳などを中心に形成される古市古墳群の歴史的意義からすれば、それに供給された埴輪を製作した本遺跡のもつ意義は大きい。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)通法寺跡羽曳野市通法寺・御廟谷

通法寺跡

通法寺は、早く鎌倉時代初頭において源頼義建立と伝えられていて「源氏之御願」といわれ、尓後或は「関東厳重之御祈祷所」、或は「源氏御氏寺」ともいわれて来た。而してその本堂の地下には頼義が埋葬され、その縁辺に義家の墓所があるとの伝えも古い。寺運に消長あり、天正年間寺中炎上し、江戸時代に入っては、衰微の極に達していたが将軍綱吉の時に至り、源氏としての由緒を重んじ、且つ隆光の盡力によって再興されることになり、元祿13年11月落慶供養を行った。明治維新後、寺は廃されて石丸神社となったが明治40年壷井八幡神社に合祀され、いまは荒蕪地にも近い状況となっている。
寺跡は山の谷と称せられる谷状地の入口に位し、低い丘陵の南麓にあって、前面には御廟谷の丘陵がある。旧寺域中いまのこるところは、その西半の主要部であって、山門、鐘楼の建物及び南面する本堂の礎石等が遺存し、西端部の観音堂は頼義の墓所といわれているところであるが、いま堂宇は撤去され、墓碑が立てられている。御廟谷の丘陵上には頼信と義家の墓がある。いずれも饅頭状に高く土盛され、頂部には石柵をめぐらしている。
思うに寺跡の北方約5町の地には壷井入幡が鎭座し、この壷井一帶は河内源氏の據地であったのであるから、盖し通法寺はその信仰の中心として建立されたものであり從って本寺跡は河内源氏の形成発展して行く様樣相を示すものとして歴史上注目すべきところといわねばならない。三代の墳墓はその徴証十分とはいえないが寺域に関聯あるものとして、且久しく土地に伝えられた伝承として、指定の地域に包含するものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)野中寺旧伽藍跡羽曳野市野々上

野中寺旧伽藍跡

俚俗中の太子とし聖徳太子の御創建と傳ふ薬師如來を本尊とする法隆寺式伽藍配置の巨利なりしが■々祝融の災に罹り堂塔悉く灰燼に歸し永く殘礎の點點たるを見るに過ぎざる状態となれり然るに江戸時代の初期に至り慧猛和尚之を再興し今日に至る。
而して舊伽藍阯の主要部分は今の山門内にあり參道の東に金堂阯あり柄孔を有する礎石多數を存す此れと相對して西に塔阯あり其の北部中央なる講堂阯には現今の本堂建物を存せり又中門阯は山門外にありて古の竹内街道に面す就中塔阯は稍高き土壇の上にありて周圍に圓形柱座を刻せる側柱礎を存し其の中央に巨大なる花崗岩を以て作れる心礎あり其の柱孔は最近の發見に係り圓柱孔の三方に添柱孔を刻し又別に南側壁に横口の舍利奉安孔を作りしものにして類列稀なるものなり。