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大阪府・大阪狭山市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)狭山池大阪府大阪狭山市

狭山池

狭山池は,飛鳥時代に築造された灌漑用の溜め池である。大阪府南部の大阪狭山市の中央部に位置し,丘陵間の谷を堰き止め築造された。狭山池の改修に関わる確実な記録は8世紀以降であり,奈良時代の行基(ぎょうき),鎌倉時代初頭の重源(ちょうげん),慶長13年(1608)の片桐且元(かたぎりかつもと)の改修等が知られる。近代以後も継続して利用され,大正末年・昭和初年(1926)及び昭和63年(1988)から平成14年(2002)の二度の改修を経て,現在に至った。平成の改修に伴う発掘調査の結果,敷葉(しきは)工法による飛鳥時代及び奈良時代の堤や,鎌倉時代から近世・近現代までの盛土等を検出し,堤断面(つつみだんめん)層序(そうじょ)と出土木樋(もくひ)等の遺物,文献から改修の履歴が判明した。特に下層東樋(ひがしひ)の木樋(もくひ)は推古天皇24年(616)の伐採と判明し,狭山池築造が飛鳥時代に遡ることが確実となった。また,重源狭山池改修碑(ちょうげんさやまいけかいしゅうひ)も出土している。このように,狭山池は,飛鳥時代に築造され,その後各時代の改修を経ながら今日まで利用が継続している灌漑用溜め池である。発掘調査によって築造の工法,歴史的変遷も明らかとなり,飛鳥時代の木樋(もくひ)をはじめとする貴重な遺物も出土した。我が国古代以来の土木技術の歴史を理解する上で重要である。

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))大阪府狭山池出土木樋/重源狭山池改修碑大阪府大阪狭山市池尻中2

大阪府狭山池出土木樋/重源狭山池改修碑

狭山池の改修の際に出土した木樋一括と樋の一部として利用されていた石碑一基から成る。木樋は飛鳥時代に初めて構築され、江戸時代初期まで継続的に改修されていた。石碑には鎌倉時代の僧重源が、狭山池を改修した内容が記されている。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))辻家住宅仕切塀大阪府大阪狭山市池之原4-927

辻家住宅仕切塀

主屋の式台玄関の西端から南に延び,西に向かう折曲り延長約13mの塀。真壁造で桟瓦葺屋根を架けるが,主屋寄りには引戸を設けた門を構え,屋根を一段高く造る。主屋居室部の前庭と座敷の前庭を区切っており,屋敷の空間構成上,欠かせない要素である。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))辻家住宅高塀大阪府大阪狭山市池之原4-927

辻家住宅高塀

長屋門の西妻から北に延び,北辺で折れて本蔵に接する。折曲り延長約42mと長大で,精緻に組んだ切石積基礎上に建つ。真壁造,漆喰塗とし,腰を縦板で覆い,桟瓦の屋根を架ける。敷地西辺の境を整えるとともに,良好な街路景観を形成している。