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奈良県・天理市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))天理図書館東館奈良県天理市杣之内町元山口方1050-13

天理図書館東館

天理図書館東館は天理大学の校地中央東寄りの傾斜地にあり、西館後方に建つロマネスク調の増築書庫棟。二~四階部分に六層の書庫フロアを設け、外観は下階部瘤出し仕上の凝灰岩貼、上部はスクラッチタイル貼とし、西館と一体とした外観意匠を形成する。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))天理図書館西館奈良県天理市杣之内町元山口方1050-13

天理図書館西館

天理図書館西館は、ロマネスクを基調とし要所にライト風を取り入れた外観意匠、書庫を中心に閲覧室や事務室などを一体化した平面配置、書棚を構成する鉄骨書架柱で四層のコンクリートスラブを支える書庫の構造等が特徴的な天理教全体の総合図書館である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)大和古墳群
 ノムギ古墳
 中山大塚古墳
 下池山古墳
奈良県天理市

大和古墳群<BR/> ノムギ古墳<BR/> 中山大塚古墳<BR/> 下池山古墳<BR/>

奈良盆地東南部の天理市から桜井市にかけての山麓には古墳時代前期の巨大古墳が多数存在する。今回,史跡指定しようとする大和古墳群は,中山支群と萱生(かよう)支群からなる24基の古墳で構成される古墳群を指す。
ノムギ古墳は地形に沿って東西を主軸にとる墳長63mの前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)で,幅10~14mの周(しゅう)濠(ごう)がめぐる。出土土器から大和古墳群の前方後方墳のなかで築造はもっとも遡る。中山大塚古墳は墳長130mの前方後円墳で,竪穴式(たてあなしき)石室(せきしつ)は盗掘を受けていたが,半肉(はんにく)彫(ぼり)獣帯(じゅうたい)鏡(きょう)の破片,槍先・刀剣類・鉄(てつ)鏃(ぞく),特殊器(とくしゅき)台(だい)及び都(と)月型(つきがた)埴輪(はにわ)など各種埴輪を確認している。下池山古墳は墳長120mの前方後方墳で,周濠がめぐる。後方部に竪穴式石室がありコウヤマキを用いた木棺が遺存していた。盗掘を受けていたが,鉄剣・鉄刀などの武器,ヒスイ製勾玉・ガラス玉・碧玉製管(へきぎょくせいくだ)玉(たま)・碧玉製石釧(へきぎょくせいいしくしろ)などを確認し,石室構築の過程において,石室の天井石を石で被覆し整えた段階で小石室を構築し,大型仿製内(おおがたぼうせいない)行(こう)花(か)文(もん)鏡(きょう)1面が布袋に入れられて納められていた。
奈良盆地東南部には,古墳時代前期の巨大古墳が多数存在するなかにあって,大和古墳群は,前方後円墳と前方後方墳が混在するところに大きな特徴がある。これらの古墳は,畿内地域における出現期古墳の具体的な様相,さらには大和政権の成立から展開を知ることができるという点で極めて重要である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)黒塚古墳天理市柳本町

黒塚古墳

 黒塚古墳は,奈良盆地東部の大規模な前期古墳群である大和古墳群内の前方後円墳である。大和古墳群は,北から萱生古墳群,柳本古墳群,箸中古墳群に大別され,黒塚古墳は,中央の柳本古墳群に属する。この中には国指定史跡である櫛山古墳も含まれる。
 柳本古墳群は丘陵から台地部にかけて立地し,黒塚古墳は西端の台地縁辺部に位置する。昭和36年の奈良県教育委員会による測量調査,平成元年の天理市教育委員会による墳丘調査の後,平成9年・10年に橿原考古学研究所が発掘調査を実施し,主体部の様相が明らかにされた。
 黒塚古墳は前方部を西に向ける前方後円墳で,現状で全長132m,後円部径72m,前方部幅60mの規模を持つ。墳丘は一見良好に保存されているが,中・近世に城郭・陣屋として改変され,墳丘裾や表面は残されておらず,本来の規模,段築などの形状,葺石などの施設は確認できなかった。
 主体部は,後円部墳頂の竪穴式石室である。南北17m以上,東西15m以上の方形の二段墓壙内に,主軸を墳丘主軸に直交させ,構築されている。地震と盗掘により石室上部は破壊が進んでいたが,内部はほぼ当初のままに残され,構築状況や副葬品の配置が明らかにされた。石室壁体の下部は川原石積み,上部は板石を小口積みにし,板石を持ち送り天井をつくる。規模は,内法で,長さ8.3m,幅0.9〜1.3m,高さ1.7m。石室底部には粘土棺床を作り,長さ6.2mの割竹形木棺を置いていた。この石室構築のための作業道が前方部側から墓壙に取り付く。この墓道は木棺安置,石室構築後に埋め戻され,その後排水溝が設けられた。
 副葬品は棺内と棺外に分けて納められた。棺内には画文帯神獣鏡1面,鉄刀,鉄剣,刀子が被葬者の上半身を囲むように置かれた。棺外北側には刀剣類・U字形鉄器が置かれた。33面の三角縁神獣鏡は棺の北半を囲むように配置され,東西両側壁には,鏡面を棺側に向けて,東側に17面,西側に15面が立てかけられ,棺北端に接して1面が置かれていた。さらに両側壁に沿って刀剣,鉄鏃が置かれた。棺外南側には鉄鏃,小札革綴冑,工具類,土師器が置かれていた。
 三角縁神獣鏡は、卑弥呼が魏から銅鏡百枚を下賜されたという『魏志倭人伝』の記載から,邪馬台国の所在地とも関連して注目され,古墳の年代決定にも重要な役割を果たすと考えられている。また,その配布を通じて大和政権が地方豪族と政治的関係を結んだとする説もあるなど、当時の政治状況を示す資料としても注目されている。そして,30面以上の三角縁神獣鏡がまとまって出土したのは黒塚古墳以外には,京都府椿井大塚山古墳があるのみである。黒塚古墳出土鏡には,他の古墳出土鏡の同型鏡も多く含まれ,この種の鏡の詳細な検討に重要な資料を加えている。
 以上のように黒塚古墳は,主体部の構築や埋葬当初の様子が具体的にわかる貴重な例である。しかも副葬品の内容がきわめて豊富であり,古墳時代前期の社会や政治状況を解明するために不可欠の資料を提供している。よって,史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。