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奈良県・香芝市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)尼寺廃寺跡香芝市尼寺

尼寺廃寺跡

 尼寺廃寺跡は,河内と大和の境にある二上山の北方,奈良盆地西縁の丘陵部の香芝市尼寺に所在する。この地には基壇や礎石が残り,瓦も多く出土していたことから寺院跡の存在が考えられていた。しかし,近年,周辺の開発が進み,その景観が変わりつつあった。このため、香芝市教育委員会が塔跡と推定されていた基壇跡などを中心に遺跡の範囲・内容確認調査を平成3年度から12年度にわたって行ってきた。平成7年にはこの基壇から,巨大な地下式の心礎が検出され,一躍注目をあびた。
 調査の結果、中心伽藍は東向きの法隆寺式伽藍配置であり、北に金堂、南に塔が配置され,その周囲を東に中門が設けられた回廊が巡っていることが判明した。回廊に囲まれた中心伽藍の範囲は南北約71.4m,東西約44.8mである。金堂の基壇は南北約16.2m,東西約13.6mで、塔は一辺約13.6m四方の基壇をもつ。この塔基壇では、長さ・幅とも3.8mの巨大な地下式の心礎が検出され,その柱座からは耳環12,水晶玉4,ガラス玉3,刀子1からなる舎利荘厳具が出土した。また、寺域は南北110m以上,東西約80mとみられ,南面と東面には築地塀が設けられていたことが確認された。東面築地塀のほぼ中央と推定される位置には東大門も検出されている。さらに、塔の瓦の型式や唐尺使用の可能性から7世紀後葉に創建され、平安時代初頭の9世紀から10世紀に焼失したと考えられるに至っている。
 本廃寺のある葛下・広瀬地域には,6世紀後半から須恵器生産を開始し,本廃寺にも瓦を供給した平野窯跡群,7世紀末の造営で古墳時代終末期の代表的な古墳とされる史跡平野塚穴山古墳を含む7世紀前半から形成された平野古墳群が存在する。また,尼寺廃寺のほか,尼寺南廃寺など7世紀代創建の寺院が複数造営された地域でもある。このように7世紀において,窯跡,古墳,寺院がまとまって作られる地域は,奈良盆地においても,飛鳥地域など限られており,その重要性をうかがい知ることができる。
 以上,尼寺廃寺跡は中央における7世紀後葉の寺院の規模や伽藍配置を良く示し,当時の仏教文化を考える上で極めて重要である。また,廃寺造営の背景にある有力氏族の動向を考えることができる。よって史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。

尼寺廃寺跡は,河内と大和の境にある二上山の北方,奈良盆地西縁の丘陵部に所在する。この地には基壇や礎石が残り,瓦も多く出土していたことから寺院跡の存在が考えられていた。しかし,近年,周辺の開発が進み,その景観が変わりつつあった。このため、香芝市教育委員会が塔跡と推定されていた基壇跡などを中心に遺跡の範囲・内容確認調査を平成3年度から12年度にわたって行ってきた。平成7年にはこの基壇から,巨大な心礎が検出され,一躍注目をあびた。
調査の結果、中心伽藍は東向きの法隆寺式伽藍配置であり、北に金堂、南に塔が配置され,その周囲を東に中門が設けられた回廊が巡っていることが判明した。回廊に囲まれた中心伽藍の範囲は南北約71.4m,東西約44.8mである。金堂の基壇は南北約16.2m,東西約13.6mで、塔は一辺約13.6m四方の基壇をもつ。この塔基壇では、長さ・幅とも3.8mの巨大な心礎が検出され,その柱座からは耳環12,水晶玉4,ガラス玉3,刀子1からなる舎利荘厳具が出土した。また、寺域は南北110m以上,東西約80mとみられ,南面と東面には築地塀が設けられていたことが確認された。東面築地塀のほぼ中央と推定される位置には東大門も検出されている。さらに、塔の瓦の型式や唐尺使用の可能性から7世紀後葉に創建され、平安時代初頭の9世紀から10世紀に焼失したと考えられるに至っている。
 本廃寺のある葛下・広瀬地域には,6世紀後半から須恵器生産を開始し,本廃寺にも瓦を供給した平野窯跡群,7世紀前半から形成され,7世紀末の造営で古墳時代終末期の代表的な古墳とされる史跡平野塚穴山古墳を含む平野古墳群が存在する。また,尼寺廃寺のほか,尼寺廃寺の南200mの位置にある尼寺南廃寺,片岡王寺,西安寺,寺戸廃寺など7世紀代創建の寺院が密集する地域でもある。このように7世紀において,生産遺跡,古墳,寺院が数多く作られる地域は,奈良盆地においても,飛鳥地域など限られており,その重要性をうかがい知ることができる。尼寺廃寺もこの地域に進出し,これらの造営に関わった中央の有力氏族と深く関連すると推定される。
 以上,尼寺廃寺跡は中央における7世紀後葉の寺院の規模や伽藍配置を良く示し,当時の仏教文化を考える上で極めて重要である。また,廃寺造営の背景にある有力氏族の動向を考えることができる。よって史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。