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岩手県・北上市
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)国見山廃寺跡北上市
国見山廃寺跡は岩手県中部、北上川東岸の丘陵地にある古代の山岳寺院跡である。標高約245mの国見山南麓の内門岡集落には国見山極楽寺があり、それを囲む北、西、南の丘陵上、標高150mから200mに立地する。昭和11年(1936)に道路改修工事で瓦片が出土したことから古代寺院の存在が推定されるようになり、北上市教育委員会では昭和38年(1963)から5年間発掘調査を行った。その結果、塔跡1基、七間堂1基、三間堂3基が確認され、『日本文徳天皇実録』天安元年(857)条に見える定額寺、陸奥国極楽寺に比定された。昭和62年(1987)以降も発掘調査が継続され、さらに新たな遺構、遺物が発見されて、寺院全体の概要も把握されるに至っている。
これまでの調査によれば、内門岡集落西方の国見山神社周辺とその南方のホドヤマと称される地区を中心に、集落周辺とその北方の如意輪寺周辺に広く遺構が分布する。このうち国見山神社周辺とホドヤマ地区に古代の遺構が集中する。まず9世紀後半に国見山神社周辺にいくつかの掘立柱建物が確認される。10世紀後半から11世紀にかけては最も数多くの建物遺構が確認され分布域も拡大し、当廃寺の最盛期と考えられる。掘立柱建物に替わり礎石建物が成立するが、瓦の出土量から見て全面瓦葺きではない。七間堂建物は南斜面を造成して建てられており、9世紀後半の掘立柱建物から礎石建物に替わる。桁行7間、梁行1間の身舎に須弥壇が伴いその前面に8間の廂を付ける構造であり、規模から見て中心的な仏堂と考えられる。ホドヤマ地区には新たに多重塔や須弥壇を伴うと見られる三間堂などが建立される。丘陵上に立地する建物は12世紀になると急速に衰退する。この時期以降の建物遺構は集落周辺に確認され、集落内にはドウ、ボウなど寺院に関係する地名が多数残ることからも、中世以降集落周辺に寺院の中心が移ったものと考えられる。
出土遺物には鬼瓦、軒瓦、道具瓦のほか塼、仏像の土製螺髪、八稜鏡などがある。極楽寺に伝世し、重要文化財に指定されている平安後期の銅製の錫杖頭1点及び竜頭4点も当廃寺跡に関連したものと推測される。
国見山廃寺の創建は出土土器から見て9世紀中頃にさかのぼる可能性が考えられる。文献に見える極楽寺とは確定できないが、中央政府の出先機関である胆沢城の北約10kmにあり、国家北辺を鎮護するような位置にある。10世紀後半から11世紀にかけての最盛期には、周辺にいくつかの廃寺跡が確認されており、この地域における仏教の普及が知られる。調査で明らかとなった大規模な山岳寺院としては我が国最北の事例であり、古代国家北辺における仏教の普及を具体的に物語る貴重な遺跡である。中世以降も現極楽寺が宗教活動を継続し現在に至っており、遺構とともに周辺の山地と集落の景観もよく保存されている。よって、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)南部領伊達領境塚北上市、胆沢郡金ヶ崎町
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)江釣子古墳群北上市江釣子・北鬼柳・和賀町長沼
北上川に注ぐ和賀川の北岸に営まれた古墳群である。古墳は3か所に分かれて群をなしている。東方の八幡地区に23基、中央の猫谷地地区に29基、西方の五条丸地区に81基の古墳の存在が確認されている。猫谷地地区については昭和26年早稲田大学が、五条丸地区については昭和37年東北大学および岩手大学が調査している。
猫谷地地区の調査された5基は、横穴式石室を内部主体とする。奥壁に巨石をたて、側壁は河原石を小口積みし、羨道端を河原石で閉塞する。石室上に天井石を遺存していたのは1基のみである。最大の石室は全長3.55メートル、最小の石室は全長1.2メートルをはかる。いずれも小規模な石室であるが控積みが顕著であり、床面に河原石を据えて側壁の立石を安定させ併せて棺台とするなど特色ある技法が見られ、羨道の前面に石敷の前庭を設けるなど、横穴式石室に伴う構造の一端をよく示している。
五条丸地区では、石室で調査されたのは31基、墳丘の形状が把握されたのは26基である。石室は、すべて横穴式石室であり、1基が4石室をもつ以外は、1墳1石室である。奥壁に巨石をたて、河原石を小口積みして側壁をつくり、羨門閉塞するのが一般であり、猫谷地地区でみられた側壁の立石例や床の棺台をもつ例は極めて少ない。石室は墳丘の中央に設けられ、全長5メートルに近いものから、1.5メートルという小さいものまであり、規模にかなりの大・小を見、また前庭を敷石する構造は稀であった。墳丘は円墳で、径4.5メートルから14メートル、周囲に幅1〜2メートルの湟をめぐらすが、羨道部の前には周湟をつくらず、墓道の存在を暗示している。
副葬品にはかます[[切先]きつさき]太刀、[[蕨手刀]わらびでとう]、鉄鏃などの武具をはじめ、馬具・工具・装身具類、土器などが豊富に発見されている。
石室や墳丘の規模、構造に特色があり、遺物の多様さも顕著であり、東北地方屈指の横穴式石室を伴う古墳群として重要なものである。
和賀川北岸の河岸段丘上に築造された古墳群の中で、和賀町所在の長沼古墳群は、昭和54年9月4日指定の江釣子古墳群の西方4.5キロに位置する。昭和47年の発掘調査によって、本古墳群は江釣子古墳群と同時代・同性格のものであることが明らかとなったので、長沼古墳群13基を江釣子古墳群に追加して指定する。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)八天遺跡北上市更木町
北上盆地の東縁を流れる北上川に望む舌状台地に営まれた繩文時代の集落跡である。5次にわたる発掘調査の結果、繩文時代中期末から後期中頃までに営まれた大規模な集落跡であることが明らかになった。
台地上には住居跡や土壙が多数存在し、また東と西の両斜面には土器廃棄場とも考えられる大量の土器を出土する地点がある。土壙にはフラスコ形やビーカー形の深く掘り込まれた大形の類も多く、そのうちの2つの土壙からは耳・鼻・口形土製品が発見されており、芸能史上極めて注目されている。同種の遺品を出した遺跡は他に2遺跡あるが、発掘によってはじめて出土状態の把握されたものとしても重要である。
また、台地中央部では特殊な大形の建物跡が発見された。ほぼ13メートルの正円の住居跡で、8回以上の改築によって順次内側にせばめられている状態が観察される。おそらく集落に附属する公共的な建物と考えられるが、この種の建物を擁する集落跡は極めて稀であり、一地方における中心的な集落としての性格をうかがわせるものである。
なお、本遺跡の東南部には旧石器時代の包含層の存在も確認されており、また中央辺には平安時代の竪穴住居跡が4棟発見されている。さらに中世の溝や井戸跡がある。