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鳥取県・八頭郡若桜町
国指定文化財(重要伝統的建造物群保存地区)若桜町若桜鳥取県八頭郡若桜町
若桜町若桜は鳥取県南東部の山岳地帯に位置し、若桜鬼ヶ城の城下町を起源とし、旧若桜街道沿いの宿場として、また近隣からの物資の集積地として栄えた商家町である。明治18年の大火後に建てられた伝統的な町家や敷地背面の土蔵、自然地形を生かした用水等、大火を経て復興した山あいの商家町の歴史的な風致を形成する伝統的建造物群保存地区。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))木島家住宅主屋鳥取県八頭郡若桜町大字若桜字中町298
若桜街道に西面して建つ木造二階建で、切妻造鉄板葺とする。正面の瓦葺の下屋は仮屋と称する通路で、南寄りに戸口を開く。内部は南が土間で、床上は二列六室とし、土間寄り中室は土間と一連の吹抜けとする。北西の座敷八畳は付書院を設けて丁寧な造作である。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)若桜鬼ヶ城跡八頭郡若桜町
若桜鬼ヶ城跡は鳥取県の東南、八頭郡若桜町の宿背後にそびえる鶴尾山(標高452m)に位置する16世紀から17世紀初頭にかけての城跡である。若桜は播磨と但馬への道の分岐点に位置する。駿河国安倍郡矢部村を本貫とする矢部氏が鎌倉時代に入部し、15世紀の後半の史料には「矢部館若狭(桜)」とみえる。鬼ヶ城は16世紀後半の史料に散見され(天正3年〈1575〉初見)、矢部氏が拠っていたことが確認される。鳥取城落城後の天正9年(1581)には木下重堅(荒木平太夫)が入部し、また、関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600)には山崎家盛が城主となった。出土遺物も16世紀から17世紀初頭の年代を示し、中世から近世への移行期を中心とする城郭であることが判明している。とくに主郭部は織豊期の山上城郭として、その規模・構造の複雑さにおいて注目される。また、廃城となった際に石垣が壊された状態がそのまま遺存している姿は、一国一城令による破城の実例として価値がある。山陰における国人領主と戦国大名の動向及び近世初期に至る城郭の変遷を知るうえで重要である。