文化遺産オンライン

カテゴリで見る

鳥取県・西伯郡大山町

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))大山寺鐘楼鳥取県西伯郡大山町大山字中門院谷9

大山寺鐘楼

本堂西側に北面して並び建つ。桁行一間梁間一間、一重切妻造銅板葺。基壇上に柱を内転びに立て、腰貫、飛貫、頭貫で固める。柱上部に大斗を載せ、十字に組んだ絵様肘木で桁、虹梁を受ける。本堂同様に中世の様式を基調としながら近代的な特徴を備える。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))大山寺本堂鳥取県西伯郡大山町大山字中門院谷9

大山寺本堂

木造、正面五間側面六間、宝形造銅板葺、向拝三間正面唐破風付。内部は外陣、内陣、脇陣、後陣からなり、後陣の前より須弥壇を構え内々陣とする。中世寺院の構成を継承しつつ、意匠性豊かな彫刻を用いるなど近代的な要素が加わり、近代寺院建築の好例。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)大山寺旧境内鳥取県西伯郡大山町

大山寺旧境内

大山寺は山号を角磐山(かくばんざん)といい,中国山地最高峰,大山(弥山(みせん),1,709m)の北面中腹に位置する山林寺院である。大山は,『出雲国風土記』に火神岳(ひのかみのたけ)あるいは大神岳(おおかみのたけ)とみえる古くからの信仰の山で,『撰集抄(せんじゅうしょう)』(建長2年〈1250〉頃成立)は,8世紀後半の称徳天皇の頃,出雲国造俊方(としかた)が地蔵菩薩を大智明権現(だいちみょうごんげん)として祀ったと伝える。平安時代後期の『新猿楽記(しんさるごうき)』に修験の山とみえ,文献史料や発掘調査等の成果から,中世に最大規模となったことが知られる。近世には幕府から三千石の寺領が安堵され,西明院谷,南光院谷,中門院谷の三院谷の上に本坊である西楽院(さいらくいん)が支配する一山三院四十二坊の体制をとった。そして,牛馬の守護神や祖霊神と結びつき,広く民衆の信仰を集めた。明治維新で寺領を失った大山寺は,明治8年(1875)に寺号廃絶のうえ大智明権現社が大神山神社奥宮に定められた。寺号復活が認められたのは明治36年(1903)のことである。旧境内地には近世以前の建造物が残り,廃絶した子院(僧坊)にも石垣や土塁,それらを結ぶ参道が良好に遺存している。大山町教育委員会による総合調査の結果,我が国を代表する山林寺院のひとつであることが明確となった。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))JR山陰本線御来屋駅本屋及び旅客上屋鳥取県西伯郡大山町西坪字谷奥1300-17

JR山陰本線御来屋駅本屋及び旅客上屋

明治三五年の敷設時に建てられた、山陰線現役最古の洋風駅舎。木造平屋建本屋とプラットホーム上屋からなる。本屋正面右寄りには切妻造のポーチを突出させ、屋根の東西妻面は半切妻として外観上のアクセントをなす。鉄道を通じた地域の近代化を表す建築である。