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山口県・山口市
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))船越家住宅主屋山口県山口市後河原字吉田45
![船越家住宅主屋](https://bunka.nii.ac.jp/heritage/43967/_530667/43967_530667276272212082143_300.jpg)
一の坂川に面した敷地に東京牛込から移築した住宅。木造二階建、片半切妻造、桟瓦葺の東西棟で南面に玄関を付し、西端に洋館の応接間を付す。各階二室続きの座敷を配し、東と南面に廊下を廻す。二階座敷は床と床脇を組合せた自由な構成とした近代和風住宅。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)徳佐(サクラ)山口県山口市
![徳佐(サクラ)](https://bunka.nii.ac.jp/heritage/43967/_508719/43967_508719702202399033629_300.jpg)
山口市(やまぐちし)北東部(ほくとうぶ)の阿(あ)東徳(とうとく)佐(さ)地区(ちく)に所在する徳(とく)佐(さ)八幡宮(はちまんぐう)の参道の両側には、枝垂(しだ)れ桜を中心とする桜並木がある。徳佐八幡宮が現在の地に遷(うつ)されたのは17世紀後半で、桜並木は文政(ぶんせい)8年(1825)に当時庄屋(しょうや)であった椿(つばき)正(まさ)直(なお)が主導し、エドヒガンとシダレザクラの苗木(なえぎ)を大坂から取り寄せて植えたのがはじまりと伝わる。大正期には名所として広く知られ、地元で保護組織が結成された。戦時中に一部が荒廃(こうはい)し、戦後間もない頃には枯損(こそん)木(ぼく)の跡にソメイヨシノが植えられたりしたものの、その後エドヒガンやシダレザクラ系統個体の補植、並木の個体に由来する苗の育成など、地域の人々の長年の努力により往時のシダレザクラを中心とする風致景観への復旧が図られてきた。
徳佐八幡宮の参道は延長約370m、幅約6mで、現在その両側に52本ずつ、合計104本の桜が植わっており、そのうちの77本が枝垂れ桜の系統である。枝垂れ桜を中心とする並木は珍しく、毎年春の開花時には多くの人々が訪れる。花のほかにも、新緑(しんりょく)、夏の緑陰(りょくいん)、秋の葉の色づき、雪の中で来るべき春を待つ冬の姿がまとまりある一つの風致(ふうち)景観(けいかん)を形成する。その観賞上の価値は高く、名勝に指定して保護を図るものである。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))妙鑑寺位牌堂山口県山口市大内矢田南八丁目53
![妙鑑寺位牌堂](https://bunka.nii.ac.jp/heritage/43967/_507849/43967_507849258444455333514_300.jpg)
桁行一七メートル梁間五メートル煉瓦造平屋建で、屋根は寄棟造赤色桟瓦葺。中央に塔屋が載る。イギリス積を化粧で現し四隅に柱形を付ける。内部は一室で、位牌棚と通路で構成され、天窓からの光が静謐な空間をつくる。煉瓦造の躯体が境内に異彩を放つ位牌堂。
国指定文化財(登録記念物)松田屋ホテル庭園山口県山口市
![松田屋ホテル庭園](https://bunka.nii.ac.jp/heritage/43967/_365395/43967_365395491880219110865_300.jpg)
山口市中央部の湯田温泉に位置する,温泉宿に造られた庭園である。松田屋ホテルは延宝3年(1675)に松田屋旅館として創業し,幕末には志士達が逗留したことでも知られる。
現在敷地には,庭園に面して北から萩の間棟(はぎのまとう),山縣有朋命名の快活楼(かいかつろう),伊藤博文命名の群巒閣(ぐんらんかく)の3棟の建物が並んで建つが,いずれも明治から大正時代にかけて造られたもので,これらの建物の配置は現在も変わっていない。古写真等から庭園もこの時期に整備されたと考えられ,当初の基本的な地割が現在までよく保存されている。
庭園は快活楼,群巒閣等の建物の東側に広がり,高さ約4mの三段の滝,緩やかに蛇行する流れ,池泉等が造られている。水辺の護岸は低めの石が組まれ,随所に雪見燈籠・山燈籠等の石燈籠を配置する。流れや池泉には石橋,木橋が架かるほか,沢飛石も打たれ,園内を歩いて回ることができる。
松田屋ホテル庭園は,大正期に整備された当時の状態を現在までよく伝え,山口県の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。